そばだより

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます
良い年でありますように
皆様のご多幸をお祈り申し上げます
今年も 「蕎麦」の文化に親しみ それを通じて人と人との輪を広げ
楽しく  蕎麦を打ちましょう
皆様のそれぞれのペースで蕎麦打ちの研鑽をし
美味しい食べ方を研究し
お互い  気楽に交流を深めたいと思います
今年もよろしくお願い申し上げます

平成30年 元旦
日本橋そばの会
会長 兼城 健

さざんか

「さざんか さざんか さいたみち
たき火だ たき火だ おちばたき」

師走になりますと、季節感の乏しい都会の片隅にもひときわ鮮やかなさざんかが咲いています。そんな光景を見ていますと、子供のころに歌った童謡を思い出します。
「さざんか さざんか さいたみち たき火だ たき火だ おちばたき」
私の中では、師走とさざんかが重なっているようです。
それにつけても年々、月日と時間が経つのが早くなって困りますね。

「 2017 年」― 私は何をしたのでしょうか。
まずは、慌ただしさに紛れて大好きなそば打ちがあまりできなかったことは、猛省です。
それでも、そばを通じてたくさんの出会いがありました。これには感謝です。
とくに、今までそばとあまり縁のなかった若い方たちや、外国の方々ともお話をする機会に恵まれましたことはいい体験でした。
そばと縁のなかった若い方たちやそばよりうどんを食べていた人たちから、「そばってこんなにおいしかったの?」という嬉しい言葉を聞かされました。
そして、そば打ちを初めて見て、体験し、恐る恐る食べてみる外国の人。でも、食べた後は必ず笑顔になっていくのが、殊の外嬉しく感じました。

私は、こんなそばファン作りがとても楽しいのです。だからずっとそばに関わっているのだと思います。もちろん、これからも関わりは続けていきたいと思います。

さて、今日は大晦日。今年ご縁のあった人たちに感謝をしながら、極上のそばを打ちましょう。

平成 29 年 12 月 31 日
横田節子

土三寒六常五杯

これでもか! と渾身の力を延し棒に伝えて延してもツツゥーと戻ってしまううどん生地、何度練習しても満足のいくうどん打ちができず、難しい。
昨年、仏料理学校ル・コルドン・ブルーからの依頼で日本料理教室のそば打ち講座の話を頂き、良い経験をしましたが、今年も嬉しいことにご案内を頂きました。でも内容を見て気分が一瞬で曇りました。今回は 11 月にそば打ち講座、 12 月にうどん打ち講座がセットになっているのです。
さあ困った、うどんは自信がない。一人悩んで周りに相談すると「うどんは簡単じゃない?」と笑いながら言い放つのです。
確かに簡単そうではありました。以前うどん打ちの達人から 2 度ほど習いましたが、その時は楽しく、達人のサポートの下に美味しいうどんを作りましたが、技術の習得はおろか何も覚えておりません。
今回は講座ですからまず受講生の前でデモをして、質問に答えて、最後は教える…。と一連の流れを講師らしくこなさなければなりません。
どうしようか悩んだ末、まずうどん教室に通いました。教室に行っても習う目的は講師がどのように教えるかをしっかり覚えるつもりでした。でも数回しか通えず、中途半端な習得になってしまい、あとは自己練習のみ。資料については、幸い一緒に行ってくれるスタッフが本を貸してくれたり、文献をコピーしてくれたりしてたくさん集まりました。うどんの歴史、文化、科学的な事など、資料を読んでいくうちにうどんについてうすぼんやりしていた知識が少しずつはっきりしてきました。
讃岐では「土三寒六常五杯」 ― 最初に印象に残った言葉です。これは塩水を作る加減を言い表した言葉で、「塩 1 に対して土用 ( 夏 ) は水 3 杯、寒 ( 冬 ) は 6 杯、常 ( 春秋 )5 杯の割合にする」としています。夏は濃い塩水で、冬は薄めでという事、現在の塩は塩分が濃いのでこの割合ではないのですが、この言葉のようにうどん打ちは打つことの技術より季節によっての塩と水の割合、寝かし方で出来上がりが違い、その見極め技術が美味しいうどん作りには重要という事が分かってきました。
さて、俄作りの知識を頭に詰めて講座に突入しましたが、実習ではやはり延しで苦労しました。まだまだ到達地点は遠いようです。切り揃えたうどんをバットに入れる作業をもう少しスムーズに、そしてうどんらしい美しい並べ方を練習しよう、今後の課題です。

興味津々の生徒さんたちはアジア系の若い人たちで元気いっぱい、そば講座でも一回会っているので親しみやすく英語、日本語、中国語が入り混じる楽しい講座になりました。この「土三寒六常五杯」をボードに書いて説明すると皆頷いて聞いていました。生徒さんたちは半年をかけて日本料理を学んでいるので出汁についても理解が深く、今回私が作った讃岐うどん風の出汁の煮干しも混合削りも、白醤油も全部知っていて「煮干しがいい味ね!」と、感想を教えてくれたのには驚きました。実習での足踏みは楽しそうに、延しは苦労して、切りは真剣に挑戦していました。

講座は午後 3 時半から始まり 9 時半までと長い時間に渡るので、私たちもそれなりに疲れました。帰り道、代官山駅のプラットホームで私たちは今日の講座の感想を話しましたが「仲良くなったあの生徒さんたちとはもう会えないね」と一人がつぶやくと「でもあの生徒さんたちは一生今日の事は忘れないよ」と一人が言いました。私はその言葉を聞いた時、胸の何かがストンと落ちていきました。そうだ 、 私はこういう形で日本のそば・うどんを世界に紹介しているのだと分かりました。
平成 29 年 12 月 7 日
日本橋そばの会
横田節子

モンゴル視察旅行で

半年前に日本橋そばの会の会長を辞し、自分ではけじめと思い会長日記の掲載を止めました。知人に「もう書かないのですか」なんて言われ、少し嬉しく、少し物足りない日々の中、やさしいHP担当は「会長日記」から「そばだより」に項目を変え「いつでもどうぞ」とさり気なく用意をしてくれていました。
それでも暇かと思えばそうでもなく全麺協の海外視察の担当を任され、何と今年は8月、10月と2回もモンゴルへ行き、そばの普及活動をしてきました。8月は打合せに、10月はそば祭りの開催でした。モンゴルは内陸特有の気候条件の厳しい国ですが、豊かな自然と地下資源に恵まれ、若い力でこれから発展をしていく勢いのある国だと感じました。
そのモンゴルで、そば祭り開催に当たり、私は宣伝のためモンゴルUBS放送局のテレビに出演しました。8月の打合せでそんな話はぽつぽつ出ていましたが、10月ウランバートルに着いてから急に話が具体的になり、2時間番組でそば打ち体験の講師とか、そば打ちのデモをするとかの話が出てきたので、外国のテレビだから誰も見ていないだろうと覚悟を決めて、「何でもやりますよ」と答えました。
さて決まったのは朝8時20分からの生放送トーク番組。さあ、困った、着ていく服がない、何しろトランクの中はそば打ちの道具や装束だけで、よそ行きの服は持ってきませんでした。「そば打ちの装束で良いですか?」と聞くと「OK!」と、これは前日の夜の話、ぶっつけ本番の予感がしました。
翌朝ホテルフロント待ち合わせは7時半、緊張しながら朝を迎え、時間通りに車に乗り込み、放送局へ向かいました。放送局はすぐ近くと勝手に思いこんだのですが結構遠く、道は悪く、車の揺れできれいに打って生舟に入れた生そばは舟の中で哀れな乱れた列になってしまいました。

列が乱れたそば

スタジオに入っても打合せはほとんどなく、出演者は司会者、今回のそば祭りを主催する会社MADグループのセンゲ社長、通訳のセレンゲさん、そして私と4人です。急いでテーブルに玄そば、むき身、そば粉、生そばを並べ、脇にそば殻、そば殻枕も置きました。簡単な自己紹介で直ぐに番組がスタート、司会者は当然ながらカメラに向かって何かしゃべりだしました。もちろん私は何を言っているか全然分かりません。そして私に向かい何か質問をし始めました。私は分かったふりをして頷きニコニコ、セレンゲさんが流暢に通訳し、私は日本語で答える、これをまたモンゴル語に通訳という事を続けました。そのうち、自分が何を言ったか、言いそびれたことはないか、頭の中がグルグルしてきました。今度は司会者がセンゲ社長に質問、社長は何やら熱弁を振っておられました。私は隣で頷きニコニコ、顔がしまいにはこわばってきました。

スタジオ風景

結局思い起こすと、全麺協の紹介と今回の来訪の理由、日本のそばの歴史、そばの健康効果を話したようです。途中でテーブルの上にあるそば殻枕に気が付き、「あ!そうだ、そば殻の話をしていない、どうしよう」とニコニコしながら落ち着かず思い悩んでいました。そばは殻まで無駄がないという事を話したかったのです。その時、きれいな女性がコーヒーを一人一人にサービスし、私にそば打ち歴などを質問してきました。白のそば打ち装束、帽子まで被っているので私を巨匠とすっかり勘違いをしたようです。冷や汗をかきながら答えました。
そして今度は運ばれたたコーヒーを飲むべきか悩み、隣をそっと横目で見るとセレンゲさんは手を付けていません。「そうだ、もし飲んでむせたり、こぼしたりしたら大変、飲むのは止めよう」心の中で決めました。40分間の番組が長かったのか短かったのか緊張をしていたので未だに分かりませんが、終わって飲んだコーヒーは甘かったのを覚えています。
放送が終わりセレンゲさんにそば殻枕の事を説明しなかったと告げると「大丈夫ですよ、センゲ社長が全部話しました」と教えてくれました。私は準備不足のまま、最後まで番組の内容も分からず、聞かれたことだけ答え、その上、少し勘違いをされ、変な外国人だったと思います。でもいい経験をさせてもらいました。

スタジオ風景

翌日からの2日間のそば祭りでは宣伝の効果はあったようで、飛ぶようにそば殻枕が売れていました。また大勢の来場者の中に日本のテレビで紹介されたモンゴルに住み、ハチミツ採集の仕事をしている日本人女性が来られ、名刺交換をして、日本での再会の約束をしました。美味しいそば屋に行きたいとおっしゃっていました。モンゴル視察旅行、39人と大勢の旅行でしたが大きなトラブルもなく、まずは好評のうちに終わりました。来年はどこに行くのかな、楽しみな海外視察です。

平成29年10月30日
日本橋そばの会
横田節子

そば包丁の握り方

そば打ち工程の中で「切り」は、「一鉢、二延し、三包丁」といわれ、水回し、延しに比べ難易度が低いと言われています。しかし、いくら「切り」の前の工程が素晴らしくても、「切り」がよくなければそばの見栄えはよくありません。

一般的には、そば打ちが上手な人は「切り」も素晴らしいので、「切り」が下手な人はそば打ちそのものが未熟だと言われてしまえば身も蓋もありませんが、少し切りについて考えてみました。

私が教わった「切り」は、麺体の真中、駒板の真中、包丁の真中(人差し指の先端)をそろえて「人さし指で包丁の側面を支え、後の4本の指で柄をしっかり握って、手で切るのではなく、肩と腕で切るつもりで、切るように」と教わりました。もう少し握り方を詳細に書くと、「手首を柔らかくして親指と人差し指は支えるえる程度にして、残りの3本指でしっかりと持つ」とのことでしたが、どうしても親指と人差し指に力が入ってしまい、なかなかそう上手くはできません。どうしても強く握ってしまうと、その握りの力みは腕、肩、体につたわり、体全体が硬くぎこちなくなってしまいスムーズに切ることはできません。

切りの問題点は多く、象の鼻は出るし(包丁の切込み角度を大きくすることで解決)、切り進んで行くと麺体が斜めになってしまう(こま板を押さえる親指と人差し指の圧力の掛け方で解決)、そして切り巾は麺体の中央部分が太くなってしまう(これは延しの問題)などがあり、切りで「まーまーかな」と思えることは、今でもありません。
そして、現在では、1kgを2回切ると、稀に指がつることがあります。やはり、親指と人差し指に力が入り過ぎて手で切っていることが、指がつる原因だと思っています。どうにかして軽く握れないか、手に負担がかからないように切れないかと思っていました。

包丁の柄の持つ位置を前、真中、後ろと変えたりとか、落とし切でなく押し切りにしてみたりとか、最初の切込みの角度を浅くしたり、深くしたりといろいろ試して見てみました。また、ネットで包丁の握り方・切り方を調べて試してみましたが、なかなか「しっくり」行くものがありませんでした。

過日の研鑽会で、Kさんが切っている姿をみると、手に力が入っていなく包丁を軽く握っているのが見ていてわかり、そして上手に切れていました。その包丁の柄には包帯が巻いてあり、柄が太くなって握りやすくなっていました。Kさんによると「包丁の握りは、しっくり手に馴染めばよいと思います。私は包丁の柄に包帯を巻いていますが、真ん中あたりをふと目に巻いています」とのことでした。

私は、これが包丁を軽く握れることかもしれないと、ひらめきました。
研鑚会も早々にさっそく、家で包丁の柄に少し太いひもを巻いて握ってみました。私は10年位前にブシャール結節(第二関節の指変形性関節症)を小指に発症しましたので、以後小指を深く折りたたむことができないため、あまり力が入りませんでした。包丁の柄が太いと、確かに親指と人差し指に余計な力が入らず、小指にも力が入り、包丁を軽く持てるように感じました。

今日の研鑽会では、包丁の柄を少し太くして握りやすくして出席です。
思ったとおり、家で包丁を握った時と同じように、小指に力が入るようになり、親指と人差し指への力具合が過度に入らずスムーズに切れました。当然、「まーまーかな」と思える切りではありませんでしたが、今までより軽くスムーズに切れるようになったことは嬉しくもあり、楽しいことでした。

人のそば打ちを見て、教わりながら練習することが大事なこととつくづく思う今日の研鑽会でした。

平成29年10月24日
日本橋そばの会
会員 文さん

  「日本橋そばの会」に乾杯!

「日本橋そばの会創立10周年」を記念して、今日はささやかなお祝い会を催しました。「もっとそば打ちがしたいね」と集まった仲間と立ち上げたサークルが10年を経て、今、少しずつ体制を整えようとしています。会員数も増え、活動も大きく広がってまいりました。
そして、同日の総会で私は会長を退き、新会長が就任しました。
頼もしい新会長が決まり、「日本橋そばの会」がより一層進展していくことを確信しています。
さて、平成26年から始めたこのホームページも3年目になります。その間多くの方がアクセスをして下さいました。「会長日記」も改めて数えてみると何と67編ありました。時々「楽しみに読んでいるよ」と声をかけて下さることを励みに、また何を書いたらいいか悩み、あっという間の3年間、好い経験をさせていただきました。
日本橋そばの会の皆様、全国のそば友の皆様に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。

平成29年3月4日
日本橋そばの会
会長 横田節子

そば講座 裁ちそば編

月に一度のそば講座に行きました。早朝、北千住から東武線に乗り込み窓際の席へ座ると、今日は晴天、空は全体に流れるような雲が薄く広がっています。おぼろ雲?車窓から差し込む太陽の光も明るく、春の兆しが感じられました。あつ!富士山が見えた。一人頭の中で拍手。越谷を過ぎるあたりは高架線になっていて遠くが見渡しやすく富士山が見ることができ、私の楽しみのひとつになっています。
東武動物公園駅で下車、バズに乗り換え安田先生の工房に着いたのは8時過ぎ、もう皆さんは準備をしていました。
本日の講座は「裁ちそば」。裁ちそばにもいろいろな打ち方があるとのことですが福島県の桧枝岐村に伝わる打ち方の勉強会です。皆にそば粉400gが配られました。「このそば粉は粗引きと超粗挽きの混合です。」
えっ、そば粉をよく見ると小鳥の餌のような大きな粒々が混じっていました。「凄いそば粉、大丈夫かなあ」福島県のそば打ちはもちろん生打ち、それは知っていました。さあ、先生の言うとおりに……。
最初は少量の水で全体をしっとり⇒粉を3等分に分け、その1つに熱湯を注ぎ入れ、糊を作る⇒その糊状になったそば粉を全体にまぶす⇒練ってはいけないがまとめる⇒3等分する⇒1つずつ練ってすぐ丸く1㎜位の薄さに延す⇒3枚を重ねて半分に切る⇒その半分も重ね6枚にする⇒左手の親指を定規にして菜切り包丁で切る。
最初は面白くてカンタン、カンタンと思っていました。でも丸延しでうまく真円にならずぎこちなくなってきました。おや?周りには全く割れはありません。ようやく3枚の丸延しが完成し、いよいよ切りの作業、特徴のある切りは難しく、切り終わった時には全身がカチンカチンになっていました。切り揃えは最悪ですが見事につながって、平麺の長いそばになりました。すぐ皆で試食をすると風味が抜群で、当然おいしい。
さて、改めて見渡すと、何ひとつ大げさな道具は使っていないことに気が付きました。家にある鉢やボールで粉をこねる、のし棒は短いもの1本、普通のまな板を使い、菜切り包丁で切る。本来の家庭で食べるそばってこういうものだと納得。そして不思議なことに2日経ってもそばはボロボロにならずおいしく食べられました。

平成29年1月28日
日本橋そばの会
会長 横田節子

二段位認定おめでとうございます。

いしさん、二段位に認定され、誠におめでとうございます。
まだお正月気分も抜ききれない1月15日の埼玉認定会、私も丁度審査員として行きました。真冬の冷たいからっ風の吹く埼玉県民活動センターですが、でもここだけは早朝から熱気があふれていました。57人の受験者は暮れも正月もなくそば打ちに励んでこられたのでしょう、ですから私もキッチリ審査をさせていただきました。
確か、石さんは1組目でしたね、あがり症と聞いていたので少し心配しましたが落ち着いてペースよくこなしていました。巻棒とのし棒を間違えて使いましたか…。そういうことはよくあります。そんな時は何事もなかったかのようにそっと戻せばいいのです。私なんか初段の認定会で借りた切り板の前後を間違えて使い、最後まで気が付かず、切り続けた覚えがあります。
さて今回、各工程で全体を見渡し、受験者の姿勢を確認しました。水回しのリズム感、こね作業時の体重の乗せ方、肘が伸びているか等、切りの姿勢も要チェック。これらは上位段になればなるほど重要ですが、実は初心者の時から注意して自分ではなかなか気づきませんので仲間同士で指摘し合い、身に着けていきたいことだと思っています。
それから今回の認定会で不思議な事がありました。受験者は一生懸命焦りながらそば打ちをしているのに一人だけ楽しそうに、気持ちよさそうにそば打ちをしているのです。
審査でぐるぐる回りその人の所に来るとやはり楽しそうに続けていました。終わったら「そば打ちは楽しいですか」と尋ねてみようと審査を続けていましたが、忙しさに紛れ、残念ながら叶いませんでした。
私ももちろんそば打ちは大好きで楽しいですが、人が見ても心地良いそば打ちをしたいものです。
さあ、石さんは二段位になられ、ますます熱が入っていくことでしょうが、今後もご自分のペースで練習を重ねていってください。応援しています。

平成29年1月20日
日本橋そばの会
会長 横田節子

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

「笑う門には福来る」
仲間とそば打ち、そして蕎麦談義
一年を笑えて過ごせたら何と幸せなことでしょうか。
新年を迎えました。
「日本橋そばの会」も11年目に入り、新たなスタートの予感がします。
皆、何か目標を持って研鑽に励むことでしょう。
でも基本はずっと同じ、仲間が集い、
そば打ちをしながら楽しい時間を一緒に過ごす。
そんな「日本橋そばの会」であり続けたいと思うのです。

平成29年1月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

リア充だって

「お母さんは多分 リア充 だわ。好い趣味を持っているね」
12 月、広島県尾道市で全麺協四段位の認定会が催され、私はスタッフとしてお手伝いに行くことになりました。丁度いい機会だからと今年 4 月から広島に暮らしている娘に認定会に来ないか誘うと「分かった、行くから」と嬉しい返事が直ぐにありました。
広島は東京からはさすがに遠く、娘と会うのは半年ぶりでしたが顔つきも明るく元気そうなのでまずは一安心をしました。
後日、娘は電話をよこし、認定会会場を動き回っている私の姿を見て何を思ったのか、たわいのない話の中でリア充の話しをしました。「リアジュウ?」初めて聞く言葉に戸惑うと「若い人が使う言葉、充実した日常を過ごせる人の事を言うのよ」と説明をしてくれました。世の中の流行りとは無縁な生活をしているので知らない言葉でしたが「そう、充実ね…。」
母親にとって娘は一番可愛くて、その娘に云われたせいか、俄然幸せ感がじわ~と染み出てきました。
そば打ちも、気が付いたら 15 年、その間にはもちろん会の仲間、そして地方の大勢の方たちと出会い、お付き合いをさせていただいています。またそばが取り持ち、海外まで旅行をする機会を得てきました。
やはり私は幸せ者です。
娘の言葉のおかげで、今年は心を込めて年越しそばが打てそうです。
この幸せに感謝をしなければ。

平成 28 年 12 月 31 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

済州島のご縁

ご縁があるというのでしょうか、今年は 9 月と 11 月、 2 回も韓国に行きました。
1度目は 9 月 10 日から 5 日間「平昌そばの花祭り」に参加して、そば打ちを紹介し、韓国の皆さんに日本のそばをアピールしました。そこへ昨年訪問した韓国済州道の済州蕎麦育成事業団の皆さんが視察に来られ、私たちとの再会を喜び、熱心にそば打ちを見学されていらっしゃいました。
「楽しかったね」と旅の余韻がまだ冷め切らない 9 月下旬、「済州島でそば打ちの出店をしてほしい」と全麺協に要請がありました。驚きましたが、ゆっくり考える時間もなく、行くことに決め、直ぐに航空券を手配しました。何しろ知らされているのは済州道西帰浦市で柑橘祭りがあり、その祭りに出店をして、そばを振る舞うという事だけ。でも私はそれほど心配していませんでした。それというのも昨年お会いした道庁の李さんという女性のおもてなしと気働きが凄かったのです。きっと彼女が細かく計画を立てていることでしょうし、そんな彼女にまた会えると思うと嬉しかった。
慌ただしく準備をして 11 月 10 日、羽田から 7 人で向かった済州島、直行便は時間が合わず金浦空港での乗継はややこしく時間ばかりが掛かりました。ようやく着いた夜の空港はちょうど雨も上がり地面はライトの光で海面のようにキラキラ輝き、広い滑走路をゆっくり迂回する飛行機、列をなして待機する飛行機はまるで大きな魚のようでした。
翌朝、宿泊先のホテルから見る風景は一面の みかん畑、済州島は韓国で唯一柑橘類が育つ地域と聞いていましたがその風景は圧巻です。
さあ、二日間のそば打ち出店。案内された所は済州道西帰浦農業技術センター、ここで1週間「 2016 柑橘類博覧会」が催され、その一角で「日韓中蕎麦文化交流」のイベントを催すことになっていました。広い敷地には、もちろん柑橘類の試験栽培がされ、どこも熟したみかんがたわわに生っていました。また、来訪者が遊べる公園もあり、大勢の観光客で賑わっていました。

急いで出店の準備をしていると、もう人だかりしてきてそば打ちを興味深そうに見ています。隣の中国ブースは蕎麦粉で作った餃子、韓国ブースはもちろんチヂミ、そして私たちは蒲鉾、揚げ玉、葱、花かつおを盛ったぶっかけそばを提供しました。こじんまりとした蕎麦文化の交流の場所となり、日本の和食「そば」を紹介しました。 2 日間とも行列がなくなることはなく日本から持ち込んだ材料がなくなるまで 800 食余りを振る舞いました。かつおだしは大丈夫かなんて心配は無用、大人も子供も「イルボンメミルマシッソヨ」(日本のそばおいしい)と喜ばれました。李さんの計画は的中したようです。

私達は忙しいのにも関わらずみんなが喜んでくれるので疲れることを知りませんでした。
イベントの帰り道には気になっていたみかん狩りをしました。たくさん収穫し、ビタミン C を補給して元気を取り戻し、夜は済州蕎麦育成事業団の方たちと今後の済州蕎麦発展について話し合いがもたれ意見交換をしました。
日本のそばの紹介をして、みかんを食べて、韓国料理を堪能し、 3 泊 4 日の済州道そば打ち視察旅行は無事終了。

来年も行きたいななんて思っていたら何と事業団の方たちが日本に来られるという知らせが入りました。さっそく、一行は 11 月 28 日に来日、まずはそばの産地北海道幌加内へ、真っ白な雪景色に大喜びをしたそうです。翌日は製粉機械を作る工場を視察し、製粉工場にも行きました。そして最終日に私たちと東京の老舗そば屋で会食。彼らは今回の視察を貴重な体験ととらえているようでした。
ところで今回お会いして驚いたのは、李さんが片言の日本語を話していることです。
11 月、私たちが済州島から帰った後、李さんは日本語の勉強を始めたというのです。この素早い実行力にはまったく感心します。
そば屋での会食が終わり、事業団の皆さんと別れる時に思いました。
これって〝ご縁〟それも素晴らしいご縁だわ、って。

平成 28 年 12 月 10 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

都会の秋景色

季節感に乏しい都会でも気を付けてみると秋になったことが感じられます。
人形町表通りにある老舗の和菓子屋さん「壽堂」。大きな暖簾が目印でショウーウインドーには数々の和菓子が並び、季節を先取りした美しい店先になっています。今日は「柿の練り切り」が飾ってありました。ここは「黄金芋」というお菓子が有名な店で、私はいつも実家に帰る時はこのお菓子を買っていきました。まだ祖母が元気でいたころ、この黄金芋が大好きで、本当のお芋と思っていたらしく、「甘くて美味しい」とうれしそうに食べていました。私たちも「そうね、美味しいね」と言ってみんなで食べていたのを懐かしく思い出します。

11月になると明治座前のイチョウ並木も少し色付き始め、そしてたくさんの銀杏が実り、早朝に浜町公園を散歩する近所の方たちはこれを楽しみにして拾っているようだと聞きました。茶碗蒸しに入っている銀杏は私も大好物ですが、強烈な匂いを放つ銀杏を洗って干さなければ美味しい銀杏はできません。もう少し時間に余裕ができたら私も拾おうかなと思います。

さて新そばの便りが北の方から順番に聞こえてきますが、人形町でも蕎麦屋さんの店先に新そばの看板を見かけました。北海道産、秋田産の新そば、楽しみな季節になってきました。散歩道にある蕎麦屋、「花乃蕎麦」は女性店主の店で、小柄な方ですが凄いエネルギーを秘めていて、思い立ってそば打ちの修業をし、直ぐにここに店を出したそうです。今日は定休日なので中に入れませんでしたが近々に行こうと思います。

そういえば我が家にいる18歳の老猫カキさんもここのところすっかり冬毛になり心持ちふっくらとしました。夏の間は老体をフラフラさせながら涼しい場所を選んで寝ていましたが、今は暖かい所を探して寝ています。人間でいえば90歳、今年の夏もようやく乗りきったようです「頑張れカキさん!」

今年も2カ月を切りました。ああどうしよう。やり残しはないか、何か気ぜわしいこの頃です。

平成28年11月6日
日本橋そばの会
会長    横田節子

認定会で思うこと

9月24、25日は北海道の新得町で四段位の認定会、10月2日は山形県寒河江市で三段位の認定会があり、新得認定会では司会進行役、寒河江認定会では審査員を担当させていただき準備も含め、緊張の連続でした。新得町は台風10号の被害が大きく、ライフラインの水道も止まり心配されましたが、何とか認定会を開催することができ、北海道の皆さんには本当に感謝をしています。
さて、認定会の司会進行も審査員と同様で受験者の皆さんと深く関わることになります。司会では受験者の皆さんを紹介するために前もって一人一人のプロフィールを読み込みました。限られたスペースにびっしりと書き綴る方や、さらっと書かれる方と様々ですが、90余名、四段位の道のりは波乱万丈で、例えば、仕事の関係で途中そば打ちから離れた人、思いがけず体調を崩し、一時そば打ちが出来なかった人、前回の認定では不合格になり再挑戦した人たちと、自分の強い意思と仲間の応援、そして家族の協力がなければここまで挑戦はできなかった方たちばかりでした。私は読みながらずっしりと気持ちが重くなりましたが、当日は皆さんの思いを正確に伝え、最高のそば打ちができるようサポートに心がけることにしました。
2日間に渡っての四段位の認定会は順調に進みましたが、合否の分かれ目は練習量もさることながら、そばに対しての思い入れではないかと、そば粉は生き物らしい、その扱い方で決まると変な結論になりました。
昼休み、新得町を散歩しました。川の復興工事はまだ時間がかかりそうです。
あれ?橋の欄干に新得町のゆるキャラかな?スキーをしているかわいい坊やを見つけました。橋の欄干に等間隔に幾つも付いていました。さっそく役場の方に聞きましたが知らないと…。勝手に「新得町の新ちゃん」と名付けました。

翌週は寒河江三段位の審査、やはり三段と四段の技量の差は格段に違います。三段はつなぎが四段に比べ多いので打ち易くはなっていますが、受験者は1.5kgのそば粉を扱うので精いっぱいな方が多くいらっしゃいました。やはり四段の受験資格は三段の認定から2年の経過が必要で、この間の練習や活動は必修なのだと思いました。でも自分も含めてどうしてこんなにも夢中になってそば打ちをするのか、そば打ちを楽しんでいる人はいるのか、まったく認定会は全員が真剣でした。
ところで寒河江の認定会前日に行われた第3回シニアそば打ちジャパンカップ大会、第2回丸延し名人大会は楽しい企画で、シニア大会の出場メンバーは長年そば打ちをされておられるおなじみのメンバー、生き生きとそば打ちを楽しんでおられました。私も皆さんのように年を重ねていきたいと願う瞬間でした。そして、全国の郷土色を出した丸延し大会は審査しながら私の方が多くを学ばせていただきまた。
たかがそば打ち、されどそば打ち、到達点が見えません。
山形新聞に載ったよと知らせていただきました。自分の審査風景を見るのは初めてです。

平成28年10月12日
日本橋そばの会
横田節子

大人の遠足

スーさんの車に乗って10月4日は茨城県の「岩瀬アグリセンター花見会」に行きました。
遠足は大人になっても楽しいもので、数日前から天気予報を気にしたり、おやつを用意したり、落ち着かないままその日を待ちます。
岩瀬アグリセンターさんとは、数年前、東京そばの会で打つそば粉に迷っていた時、そば友から紹介された製粉会社で、そば粉はもちろん茨城県のブランド「常陸秋そば」を製粉しています。打ちやすく、上品な香りがするそば粉で、その時以来お付き合いをさせていただいています。
一度、製粉工場に伺いたいと思っていましたので、お花見会は嬉しいお誘いでした。
当日、台風接近の天気予報も吹き飛ばし、自称晴れ女のMさんと私がいるせいか、驚くほどの晴天。季節外れの夏日でした。総勢7名の一行は高速の渋滞にも遭わずスイスイと目的地に到着。
10時半から始まったお花見会ですが、工場見学も丁寧に説明をして下さり、改めてそば粉になる工程を確認しました。
辺りを見渡すと一面のそば畑、真っ白に咲いていました。遠くから眺める真っ白なそば畑も好きですが、そばの畑に入り込み、思わず息がむせるのもよいものです。そばの花一輪一輪は小さく可憐ですが、大勢で私たちを取り巻き主張するとても強い植物です。
広大なそば畑をずっと歩いていくと中央に赤いテントが張ってありました。
そこが休憩場所、お待ちかねの昼食です。新米のおにぎり、季節の天麩羅、けんちん汁、もちろん打ちたてのそばもお腹いっぱい頂きました。

爽やかな風の吹く中、ゆっくり歓談をした帰り際に、社長さんから畑で枝豆を好きなだけ取ってくださいというアナウンスがあり、みんなは思いがけないことに喜び勇んで畑に入り、子供のように枝豆取りを楽しみました。
名残惜しくアグリさんに別れをつげ、近くのお寺を参拝し、さあもう一つの目的地、笠間日動美術館に行きました。丁度北大路魯山人の企画展を催しており、これもまた 楽しみにしていました。美術館は平日なので空いていて、ゆっくり鑑賞ができました。常設展示も印象派から現代までのコレクションがあり、楽しめましたし、私は見事な竹林や、庭園に展示している彫刻や石仏が良いなあと思って一人で散歩をしました。

お目当ての企画展「北大路魯山人のおもてなしの極意」は見ごたえのある展示でした。出品されている器はたっぷりとしていてどれも堂々としていましたが、掛け軸や書は筆跡や絵柄が繊細で美しくこの対比が圧巻、こんなに素晴らしい美術館を今回訪れることができて大満足でした。
お花見、お昼ご飯、枝豆、美術館と大人の遠足も楽しいから時間の経つのも早い、お土産をたくさん車に積んで帰りを急ぎました。気の早いことに「来年は枝豆取りのために鋏と軍手を持っていこう」と誰かが言って、みんなが「そうだそうだ」と歓声を上げていました、
スーさん、ありがとうございました。運転手のお役目お疲れ様でした。来年も、みんな元気で行きたいね。

平成28年10月4日
日本橋そばの会
会長 横田節子

韓国グルメ旅

韓国の食事は品数が多い、テーブルの上に小皿がズラリと並びます。そして必ずあるのが白菜キムチ、5日間ずっと食べ続けると店によって風味が違うのが分かってきました。辛さも違うし、唐辛子だけでなくアミの塩辛や何か魚介類が入っていそう。漬け具合も浅漬けから醗酵の進んだ熟成漬けと様々でした。でも共通しているのは辛いけどしょっぱくないということ。つい箸が伸びてしまいます。肉も牛カルビ焼肉、豚三枚肉焼肉、鶏参鶏湯と食べつくしました、初めてコムタンクッパ(牛テールスープ)をいただきました。

『1日目』
夜「レセプションパーティにて」
パーテイ料理は万国共通ですが、お酒はそばマッコリ、口当たりが優しくついつい飲み過ぎてしまいます。キムパプ(韓国海苔巻き)はいつもおいしい。

『2日目』
朝「ハーブナラ農園にて」
韓国の朝食は野菜たっぷり、シメジ生のまま。コチジャンを付けて食べるとツーンときのこの香りが広がりました。

昼「精進料理店にて」
微妙に味が違う漬物,和え物、どんぐり豆腐ガ小皿に並びます。白いごはん合いました

夜「ハーブナラ農園にて」
カルビ焼肉 牛肉を秘伝のたれに付けてバーベキュウ肉は柔らかくサンチェに包んで…最高でした。

『3日目』
朝「ハーブナラ農園にて」
朝食の中に生ニラと玉ねぎのサラダがありました。ニラは日本のニラよりも細くやわらか、玉ねぎの甘みと絡まって違和感なし。皿いっぱいのサラダを頑張って食べきるとすかさずお代わりを盛られました。そうだ、韓国は野菜が皿になくなるとお代わりを盛られることを忘れていた。焼肉のサンチェのお代わりは嬉しいけれど…。ニラサラダ2杯完食。

昼「そば祭りブースにて」
きな粉餅、キムパプ(韓国海苔巻き)

夜「ソウルの焼肉店にて」
豚の三枚肉焼肉をジュウジュウ焼いて、コチジャン付けて、サンチェに包んでパクリ。幾つ食べたか分からないほど食べました。焼肉店なのにどこからかタコの活き作りが回って来た。動いていて食べられず。

『4日目』
朝「ソウルの食堂にて」
コムタンクッパ(牛テールスープ)コラーゲンたっぷりで胃に優しい。スープの中にご飯を入れてサラサラと。

昼「水原市(スオン市)の参鶏湯専門店にて」
韓国夏の定番サムゲタン、烏骨鶏一匹スープ煮 余裕で完食。

夜「ソウルの海鮮料理店にて」
最後は韓国海鮮鍋 蟹、海老、貝、混ざっておいしい、中からトッポッキ(韓国の細長いお餅)が出てきた。カンチャンケジャン(渡り蟹)が出されたがあっという間になくなり食べられず。

『5日目』
早朝「空港レストランにて」
韓国の人ならだれでも好きなバナナウユ(バナナ味のフルーツ牛乳)。

5日間の食事、こんなにもたくさん食べました。今、肌はモチモチしていてイイ感じです。
でもしばらくは怖くて体重計には乗りません。

平成28年9月27日
日本橋そばの会
会長 横田節子

韓国

韓国の人たちとの交流
『平昌そば祭り』
昨年に続き4泊5日の日程で韓国平昌のそばの花祭りに参加しました。今年は21名の大
所帯、そばの出店もあり、盛りだくさんなスケジュールです。
まずは「第13回国際ソバシンポジユウム」レセプション会場へ行きました。大きなホ
テルで冬は目の前に素晴らしいゲレンデがあり、スキー客で賑わうところです。
ここで2年後は平昌の冬季オリンピックが開催されると聞きました。あれ?ロビーに
「秋の童話」の大きなスチール写真が…。「懐かしい~ウォンビンだ。」そっと叫ん
でいました。

あらすじはほとんど忘れてしまいましたが、主人公の二人が花畑をずっと歩いていた
シーンを思い出しました。ここでロケをしたらしい、懐かしさに一人浸っていまし
た。
さて、翌日からの2日間はそばの出店、天麩羅を付け、「もりそば」を提供しました
が、中々の苦戦を強いられました。天気も良く、「オソオセヨ」「いらっしゃいま
せ」とそばの紹介をしました。隣のブースは若者のお餅店。臼ではなく大きな石の上
に蒸した餅米を載せ、杵で打ってお餅にしていました。お隣同士なのでお互いに商品
を交換し合い、若者のついた力強いお餅を黄な粉をまぶして美味しくいただきまし
た。

夜はそば畑でお祭りのメインイベントの風灯を飛ばしお願い事を、最近は「元気で過
ごせますように」こればかりです。

翌朝ソウルへ移動するバスの窓から一面のそば畑を眺めていると、韓国にいることも
忘れ、カチコチしている頭の中もゆっくりと柔らかく溶けていきました。

『ソウル散歩』
さあ後半はソウル観光。ソウル市内で方位が良く昔は両班(リャンバン)が住んでい
た高級住宅地の北村へ行くことになりました。期待をしていると、ずっと以前に訪れ
た時は閑静な韓家が建ち並び、散策するにはとてもいい場所でしたが今は観光地に
なっていてがっかりしました。韓国ドラマ「冬のソナタ」の主役ユジンの家を偶然見
つけ喜んだ記憶がありますが、今は有名な場所になっていました。

この北村の奥に今、ヨン様が住んでいて、子供ができたようですよとガイドさんから
聞き、これで私の冬のソナタ、ヨン様は遥か遠くに行ってしまいました。でもせっか
く韓国に来たのだからと南大門市場と免税店に行き、肌の老化に効く韓国美肌コスメ
を大量に買い占め、ようやく元気を取り戻しました。
韓国5日間の旅、アクシデントもなく楽しく過ごせたのは、この旅行のために幹事の
方は何度も韓国に行き、打合せをしたそうです。また韓国側の李氏はいつも優しい笑
顔で誠心誠意お世話をして下さいました。感謝の気持ちを伝えると、李さんは「これ
は韓国人の情(ジョン)です。」とおっしゃいました。

平成28年9月19日
日本橋そばの会
会長 横田節子

外国人Soba講習

「よし、終わった。」心臓をバクバクさせながら臨んだ、外国人シェフ相手のそば打ちデモも始まってしまえばあっけないもので、2回目のデモが終わった時には安堵感と後悔とで身体の力が抜けました。

講習の前半は15時半から18時半のデモ、後半は19時から22時までの実習。この長時間をどのように進めていったらいいか、私とサブを務めてくれた佐江子さんは何度も先方に行き、打合せをしましたが、流れが今一つ読めず、時間が足らないのか、余るのか不安でした。
教室に行き、気持ちばかりを焦らせながらデモの用意をしていると、今回通訳をして下さるMさんから、1)「生徒に伝わり易くするために短いセンテンスで説明をしてほしい。」2)「いろいろな質問をしてくると思うのでできる限り対応をしてほしい。」この2つを笑顔で言われ、少し緊張がほぐれました。

「起立、礼、お願いします。」で始まったそば打ち講習。まずはだしを引いて、つゆを作り、そしてそば打ちのデモです。

厚削りを見て「それは何ですか?私の知っている鰹節と違います。」「これは鰹節を厚く削っています。」
「昆布は入れないのですか?」「好みです、今日は入れません。」
「ラーメンの手打ちはありますか?」「あまり聞かないですね。」
「水回しをしている時は何を考えていますか?」「そば粉の色の変化を見ながら次の工程を考えています。」
「変わったかたちのそばを見ました。写真を写しましたがそばでしょうか?」「ああこれは《そばはっと》といって…」
等々、面白い質問に答えていると、あれ? 延した生地の周りが少し割れてきている、ああ~どうしよう、時間をかけたからだ。私は今回のデモでは『絶対に破らない』『四つ出しは真四角に』の2つはキッチリやろうと決めていました。途中までは良かったのに…。でも気を取り直して延していくと今度は調理台の大理石の模様が生地の下に見えてきて、ええっ!心臓がドキン、延しを思わず止めしまい、さらっと延してたたみました。結果はすこし厚めでがっかり、大理石が見えてくるのは想定外で、今さら練習不足を悔いても仕方がありません。情けない。

倒れそうになりながら質疑応答をしている間に、佐江子さんは手際よくそばを油で揚げ、サッと塩をまぶして「そばスティックです」と皆に勧めてくれました。
「美味しいですか?」
「はい!おいしい。でも足りない!」
「それではお代わりを揚げましょう。」
追加のそばを揚げて振る舞う頃には私も開き直り、立ち直ってきました。すると責任者のシェフに「あと40分あるのでもう一回そばを打ってくれませんか」と耳打ちされ、何か名誉挽回のような気がして急いで用意をしました。シェフたちも調理台の周りに集まって興味深げに見入っていました。今度は前回よりも時間をかけずに打てて、四つ出しで丸から四角になった時には「ワオ!」と言ってもらい、切りもまずます、運も引き寄せて自分の力を出せたような気がしました。

さあ、私の任務はもう終わったも同然、これから後半はシェフたちにそば打ちを教えるのですが楽しもうと決めていました。もうこんなチャンスは二度とないし、フレンチ仕様の厨房でそば打ち、普通ではありえない光景です。
さて、14人のシェフは陽気ですが、やはり真剣でした。ここができないと質問をしてくるシェフ、納得がいかないと何度もそばを茹でている女性シェフ、器用な手つきで山葵を擦るイケメンシェフ。パスタ作りは得意だかそばは難しいと嘆くシェフ。皆勉強熱心でした。
ヨーロッパ、アジア、アメリカと世界中から選ばれて日本料理を学びにきた彼らは8月末までここで調理実習をして、その後は半年間料理屋さんの現場で修業、そしてそれぞれの祖国に帰り日本料理店を出す。大きい夢を持った若いシェフたちに思わずエールを送りたくなりました。

平成28年8月26日
日本橋そばの会
会長 横田節子

試練のデモ打ち

長いことそばを打っているとそば打ち台にこだわってみたり、包丁、駒板も少しでも使い易いものが欲しくなります。なかでも台の高さは一番重要で、皆自分に合った踏み台を作り、高さを調節しながら練習を重ねているようです。 それなのに、今の私はそば打ち環境の整っていない状態での練習をしています。

そういえば、先日の御殿場も決して良い環境ではありませんでした。まず、延し板はしなっていて机の上に載せても少しガタガタしました。また野外でしたので、風が吹き、当日は時々凄い雨が降りました。そして延し棒は1本だけ。一瞬気持は萎えたのですが、子供たちが延し板にぶら下がるように見入っている中で楽しくパフォーマンスをすることに集中しました。出来栄えはあまり良くはなかったのですが、何とか子供たちに飽きさせないそば打ちができたと思っています。

さて、今度は仏料理学校から外国人シェフのそば打ち体験を頼まれました。興味津々で打合せに行くと、できる限り厨房にある道具を使ってほしいとの要望が出されました。相談をしていくと、料理学校なので道具はおおよそ揃っていますがどうしても代用がきかないものにこね鉢がありました。大きなボールではどうかと提案されましたが、調理台に置いてみると軽すぎて落ち着きません。麺棒、駒板、包丁も適当なものはなく結局購入していただくことになりました。さて問題は調理台です、大理石で高さが85cmと高い。奥行80cm横110cmです。さあどうするか。右隣にはガスコンロがあり、やり辛いけどここで700gのそば打ちのデモをすることになります。そこで、いつも自分の会の研鑽会をしている料理室はステンレスの調理台なのでさっそく練習をしてみました。すると生地が台に張り付いてしまい、打粉を振りながら延していくと何とかできました。次に自宅のガラステーブルの上で試してみると、少しでも打粉を控えめにするとやはりピッタリ生地がガラスに張り付いてしまいます。「これは困った」とだんだん怖くなってきて、ついに今日は現場に行って打たせてもらいました。

テストをしてみると思ったよりは張り付きませんでしたが、奥行80cmが厳しい。しかも1本でできないかと先方は提案をしてきました。「そんな無茶な!」しぶしぶ1本で延してみるとやはり延しきれない、500gならできそうですが、もうレシピが決まっているので変更することもできず、強引に2本使用にしてもらいました。通訳が入り、説明をしながらつゆを作り、そば打ちのデモをして、薬味を作り、そして茹でて見本を作る。できたらもう一品もと言われました。当初考えていたそば打ちデモとは全然違っているのです。こちらの認識が甘かったのか、もちろん私の未熟さもありますが、今寝ても覚めても頭から離れずだんだん近づく本番の日。ドキドキが止まりません。

平成28年8月24日
日本橋そばの会
会長 横田節子

子供そば打ち体験

子供たちにそば打ち体験の指導をしてほしいと依頼を受け、静岡県御殿場市にある国立中央青少年交流の家に向かいました。着いてみると敷地は広く、事前準備を怠った私が、迷いながらようやく子供たちの所に着いたのは約束の時間ぎりぎりだったので焦りました。
『平成28年度文部科学省委託事業体験活動プロジェクト「親子自炊生活体験」』というスゴイ名前が今日の体験会のようです。キャンプをしながら、火おこしから自炊生活3泊4日を体験します。そのカリキュラム最後の昼食にそば作りがあるのです。
22組の親子が参加しており、子供たちはほとんどが小学4年生ですが、一部中学生も参加していました。みんな自然が身近にない都会の子供たちです。

普段の体験教室とは違い、野外なので道具がすべて揃っているわけではないし、子供なので時間がかかり過ぎると飽きてしまう。主催者からそば打ちの間も何かそばにまつわる話をしながら進めてほしいとの注文を受け、頭の中はますます混乱し、大急ぎで準備に取りかかるともう子供たちは興味津々で近くに集まっています。エイ!とばかり始めました。
水回しは飽きてしまうので少しずつ変わっていく粒のサンプルを作り、回して近くで見てもらいました。やはり四つ出しで丸から四角に変わった時は「ワー!」といって喜んでくれました。途中、子供たちに「上手だね」と褒めてもらい、「何年やっているの?」「15年そば打ちをしているのよ」「それじゃあ今何歳なの?」「何歳に見える?」「45歳!」なんて何とも楽しい会話をしながら進めました。「さあみんなもやってみよう!」と言うとクモの子を散らすように班に戻りワイワイとこね始めました。

できるだけ大人は手伝わないようにして何とかそばを作り、湯を沸かしてそばを茹で、皆で「いただきます」の楽しい昼食になりました。お代わりもしてお腹いっぱい食べたようです。
キャンプも終わり、帰りのバスの中は疲れ果てて眠る子供たち、事故もなくホッとする親御さんたちで静かでした。辛かったけれどきっと夏休みの好い経験になったと思います。そのお手伝いができたことがとても嬉しく感じられました。

平成28年8月3日
日本橋そばの会
会長 横田節子

夏のウイーン食べつくし

さて、今回のウイーンは「食べつくし」を楽しみにしていました 先ずは前回食べ損ねたザッハトルテに挑戦、早速ホテルザッハのティールームでザッハトルテと、暑かったのでアイスコーヒーを注文しました。

運ばれたケーキは思ったより大きく、味は濃厚、アイスコーヒーはコーヒーパフェのようでビックリしました。完食をするとその日の夕食が食べられないので、食べ比べをしてみよう思っていたもう一軒の、デメルのザッハトルテは取りやめました。 ところでドイツ国民はアイスクリーム好きと聞きますが、オーストリア人も大好きらしくアイスクリームショップはどこも賑わっています。そして、ザルツのケーキ屋さんで食べたアイスクリームはバニラの香りも豊か、クリーミーな口どけと絶品でした。

旅行中、毎日肉ばかり食べていると大変なことになるので、時々は軽食にして胃を休めようと名物のカナッペをテイクアウト、飲み物はザルツで日本語が話せるハンサムな青年に教えてもらったザルツ産のビール、この組み合わせで満足しました。

ウイーン市内を気ままに散策しているときに目に留まったショーウインドウ、「アッ!」と思わず反応してしまいました。

小さな店で多分BIO(有機)の食品を扱っている店だと思います。木製の篩と、粉が陳列されていたので「そば粉はありませんか」と尋ねたら、「ない」と言われました。たどたどしい英語だったので相手に正しく伝わったか自信がありません。でもあの篩はどのような時に使うのかを聞きたかったと後になって悔まれました。 夏、ヨーロッパは日が暮れるのが遅く、外に行くとついつい夜更かしをしてしまいます。旅も終わりに近づいてきましたので、知人たちと夕食を共にしました。ワインを飲みながら時間も経つのも忘れ、慌ててホテルに帰る道は細く迷路のようで、気がつけばそこはモーツアルトが晩年を過ごし「フィガロの結婚」を作曲した場所でした。「この道をきっとモーツアルトやシューベルトは作曲に悩みながら歩いたよ」と言われればふっと横道から彼らが現れそうな錯覚にとらわれます。ハプスブルグ王朝から現在までの歴史と文化を美しく保つウイーンは本物の“都”でした。

平成28年7月24日
日本橋そばの会
会長 横田節子

 夏のウイーン

今年の1月に訪れた冬のウイーンと街の様子を比べたくて、今度は夏のウイーンに行きました。今回は宿と航空券を予約し、あとは自由に過ごそうと決めた旅です。 ウイーンの夏はどこも緑にあふれていて冬とは全く様子が違いました。また、この短い夏を満喫するためか、レストランはオープンテラスを設け、客は店内よりも外のテーブルを好み、実際、外の席が上席のようです。座って冷えた白ワインを1杯飲めば、いつまでも留まりたい気分になるのが不思議でした。

ところで相変わらず私はドイツ語が分かりません。けれど何とか自力で地下鉄やバスに乗って動こうと決め、思い切ってザルツブルグ行きにも挑戦しました。ザルツブルク中央駅から8時半発の特急に乗って2時間余り、車窓の景色に見とれながら着いたザルツは「サウンドオブミュージック」の舞台です。懐かしい映画を思い出しながらロケ地を回り、モーツアルトの生家では大作曲家を身近に感じ、勢いで小高い丘の上にそびえる城塞に登り上からの景色に絶賛、そして教会の天井画の美しさにしばらく天井を見つめていました。夏に開催されるザルツブルグ音楽祭の前だったので観光客もそれほど多くなく、思い切り楽しめた2日間の旅でした。

さて、ウイーンは音楽の都、王宮の礼拝堂で日曜ミサにウイーンフィルとウイーン少年合唱団が演奏するというので知人にチケットを頼みました。

厳かに始まったミサは言葉が分からない私も気持が穏やかになり心地よく、そして天上のバルコニーから響き渡るウイーン少年合唱団のミサ曲は圧倒的な清らかさで、まさしく天使の声でした。荘厳なミサが終わり外に出ると、馬車が中庭に何台も止まっていました。

王宮と馬車は本当によく似合います。そういえば、ウイーン市内ではこの馬車のスピードに全ての乗り物は合わせていて道路をゆったり走る馬車の後にタクシーやバスが連なっている光景を何度も見ました。信号も少なく道路も歩行者が絶対に優先、人が歩けば車は必ず止まりました。 ニュースを見ると、いまヨーロッパの各地でテロが起り、世界中を不安にさせていますが、ウイーン市内では特別な警戒はありませんでした。いつまでも続くテロの脅威を何とか平和的に解決がされ、どこにでも自由に旅ができるようになってほしいと願いました。

平成28年7月24日
日本橋そばの会
会長 横田節子

改築祝のハレの日に

先日友人から「家のリフォームが終わったら、完成した家のお披露目をしたいのでそばを振る舞ってほしい」との依頼がありました。
彼女はご実家が材木関係なので建築には詳しく、その上good senseの持ち主、どんな家になるのかこの日を楽しみにしていました。
さて当日、午後2時から始まったお披露目会はこのリフォームに携わった工務店の若社長夫妻、大工さん、タイル屋さん、左官屋さんとそれぞれの専門分野の方たちが来られました。建築は専門パーツがあり、皆さんは完成した家が見ることができない、だからぜひ家を見ていただきたくて計画をしたという。その場面に私のそばが登場するのがとても嬉しかった。
施主のイメージを工務店がしっかりと受け止め、一緒に作り上げてきた家はとても素晴らしかった。こだわった桐の無垢の床は足にしっとりと優しく、ところどころ使われている桧葉の壁からはほのかに木の香りが漂う。壁は漆喰が塗られていて自然な温かみがありました。「風が通る間取り、自然に近い材料で」が彼女のコンセプトと聞き、納得しました。
大工さんが三日間もかかってしまったトイレの話、漆喰の混ぜ方、塗り方の違い。床板を桐に決めた話を時間が経つのも忘れるほど興味深く、楽しく伺うことができました。宴たけなわで、いよいよ私のそばの出番がきました。彼女は私を大げさに風潮していたのが少しこそばゆかったのですが楽しみにして下さっているので振る舞いました。気分も体温も上昇気味の身体に冷たくキリリと絞まったそばは満腹でも別腹に収まるよう喉を通ります。「おいしい、おいしい」と言っていただき、ホッとしました。
昔、そばはハレの食べ物だったといいますが、今日のような改築祝のハレの日に、その役目をしっかり果たすことができたのも、そば打ちオタクを思い出してくれた友人のお蔭です。
そば打ちをしてきて良かったと思う一日でした。

平成28年7月17日
日本橋そばの会
会長 横田節子

「大江戸和宴」でそば打ち

 

「そばがないよ~。打ってください」「は~い」こんなやり取りを四六時中聞きながらひたすらそばを打ち続けた4日間でした。

6月16日~19日代々木公園イベント広場で開催された第一回大江戸和宴は週末天気にも恵まれ大盛況、今回は若い人ばかりでなく団塊の世代らしきカップルも多く見うけられました。
そばと日本酒の組み合わせの「和の宴」は広い世代に受け入れられたようです。

さて、私はそば打ち担当。
お手伝いをさせていただいた店は新潟県新発田市からの出店「一寿の会」。韃靼そばを出しました。
韃靼そばはポリフェノールを多く含み、身体に好いとされ、今、何かと話題のそばです。初めて触りました。そばとつなぎの割合が6対4なのでいつもと勝手が違い、うどんのような感触を残しながらのそば打ちで、目を見張るような黄金色をしています。

ところでデモ打ちを見物している方たちは様々です。ジッと食い入るように見ている人、いろいろな質問を投げかけてくる人、直ぐ近くまで寄ってきて触りたそうな子供たち。何だかただならぬ気配を感じて顔を上げると「あれ~、久しぶり~」知り合いが見ていました。デモは緊張しますが、楽しい時間でもあります。

4日間で3,000食を売り上げたと聞き、腰の痛み、足のむくみも少し和らいだようです。主催者側ではこの催しは和食につながるものとして2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでは続ける意向を示しました。
東京での初めてのそば祭り、何とか根付いてほしいと強く思った4日間でした。

平成28年6月20日
日本橋そばの会
会長 横田節子

「大江戸和宴」PR活動

そば打ちも長いことしていると様々なところでデモ打ちをしますが、今回は東京のラジオ局、ニッポン放送でデモ打ちです。
6月16日から4日間、東京の代々木公園で開催される「大江戸和宴」のPR活動にと急遽駆り出されました。「ラジオ局?意味わからん」と言う人がいて、少しショゲましたが、「まあいいや」と準備に取り掛かりました。私が一番気になるのはそばを茹でる場所で、オフィスの給湯室と聞き、心配なので前日に下見に行き確認をしました。
さて当日、勇ましいそば打ち女子3人は少し緊張をしながらラジオ局へ、直ぐにたくさんの人の行き交うエレベーター前で支度をしてそば打ちを始めました。オフィスの中でそばを打っても誰も不思議がらないのがとても不思議でした。最初の打ち合わせでは20人分でしたが、だんだん増えて40人分になり、結局用意した器の50人分を振る舞いました。
昼の番組担当のディスクジョッキー高田文夫さん、松村邦弘さんにそば打ちを見てもらい、試食をしてもらってリスナーに伝えるというPR作戦はうまくいったのかどうかは分かりませんが、昼時になり、社員の方達にも振る舞って喜ばれたのが良かったと思いました。
芸能人がいたのかどうかはバタバタして気が付かず、それが少し残念でしたが、貴重な経験をさせてもらいました。こんなことは二度とないと思います。午後2時過ぎに終わり、東京の真ん中、皇居のほとりのオープンテラスでお茶をする3人はミスマッチといえばミスマッチですが、当人たちは爽やかな風が吹く昼下がり、コーヒーとケーキでしばし蕎麦談義を楽しみました。

平成28年6月10日
日本橋そばの会
会長 横田節子

アクシデントが一転、思い出深い北海道

久しぶりに北海道に行きました。
季節はちょうど東京より1ヵ月前、春と初夏が混ざっていました。
用事を終えて辺りを見回すと桜は終わっていましたが、藤の花が満開、新緑が目に眩しく若葉はサワサワと和音を奏で、体に優しい心地良い風が吹いていました。

この時期、北海道の方達にお聞きすると一日一日と景色が違うのだそうです。長い冬を終え、皆一斉に芽吹くのでしょう。
少し時間がありましたので北海道ガーデン街道の一つ、真鍋庭園に立ち寄りました。長い時間をかけて整備された庭園の樹木は淡い緑から、薄白緑、深い青緑と個性のある色彩でそれぞれ主張をしています。たっぷり森林浴を楽しみました。

さて、宿泊地が帯広でしたのでお菓子の名店「六花亭本店」に初めて行きました。広い店内には色とりどりのお菓子がきれいに並んでいます。見たことのない本店限定品を買い求め、満足しながら一路新千歳空港へ向かいました。

ところが、新千歳空港待合室で羽田空港の事故に遭遇し、いきなり欠航の通達、てんやわんやで結局東京へは帰れず、知人の計らいで滝川へ行くことになりました。こんな時、そば打ち紳士はやさしい。食事に誘って下さり、二次会はラーメン屋さんへ。身体に悪いなんて言っていられない、夜中のラーメンを完食しました。

翌日、紳士が連れて行ってくださった所は圧巻の菜の花畑。作付面積日本一を誇る丘陵ははるか遠くまで黄色の絨毯が広がり、車から降りると辺りは菜の花の香りに包まれていました。不思議とタイムスリップしたような気持になります。最初はもちろん菜種油を取るための畑でしたが、だんだんと耕地が増え、ある時、観光になると気付いたそうです。素晴らしい風景でした。

日本海を見て、真っ直ぐ伸びる道路をひたすら走り、新千歳に着いたのは午後5時、夜8時半のフライトで東京に帰りました。 アクシデントで一時は心配しましたが、思い返せば天気は良好、食べ物は皆おいしい、そして、たくさんのおもてなしを受け、思い出深い北海道の2泊3日でした。

平成28年5月28日
日本橋そばの会
会長 横田節子

おそばの食べ方の美しい人

江戸ソバリエ・ルシック認定講座は先日手学も終わり、あとは舌学を残すのみとなりました。「舌学」とは……。江戸ソバリエ協会によると「粋な食べ方」なのだそうです。さて、どのように食べるのが粋なのでしょうか。テキストを見ると詳しく書かれていて、なるほどと感心して読み進めると、最後に六官(目、耳、鼻、舌、肌、心)で味わいましょうとありました。そばの食べ方は奥が深いです。「たかがそば、されどそば」を実感しました。

ところで毎年、私は高橋邦弘先生が催す年末のそば会に行っていますが、その会で一年に一度会う女性がいます。何回目からか少しずつ会話をするようになり、親しくなりました。そしてその女性は何よりもそばを手繰る姿がとても美しいのです。厚かましい私はつい聞いてしまいました。そうしたら意外そうな顔をされ、返ってきた答えは「そうですか…きっとそば好きの父に連れられて子供の頃からそば屋に行っていたので、自然とそばに慣れているからでしょう」なるほど、文化度の高い家庭環境がなせる業でしょうか、憧れました。彼女の食べ方は別に何でもないのですが、背筋はピンと、少し前に傾き気味で、正しく箸を持ち、もり蕎麦の中央から4、5本をつまみ、そば猪口にちょっと沈め、すぐに口に運ぶ。これだけですがスピード感も良いし、啜る音も大きくもなく、小さくもない、そして何よりそばに向かい集中していることでした。彼女のようにそばを手繰れればルシックの認定をいただけると思うのですが。

平成28年5月20日
日本橋そばの会
会長 横田節子

美しすぎるそば打ち

今年の連休は埼玉の合宿に参加をさせていただきました。メンバーは各地から集まるそば打ちの精鋭たち。その中に交じって一泊二日私なりに頑張りました。

参加者の皆さんは福井名人戦本選出場を目指す人たち。今年の予選会に向けて、淡々と準備を進めています。また来年の全麺協五段位を目指す人たち、目標を定め、練習を重ねています。これは大変な合宿かな、空気がピーンと張りつめているのかと思いきや、そうではなく冗談も飛び交い、和やかな雰囲気が漂う合宿です。ただ要所要所になるとシーンと静まったり、じっと達人のそば打ち実技を見入ったりとメリハリがありました。その中で私が一番良かったのは超粗挽きの水回しのデモを見たことでした。目から鱗とはこういう事かと思ったほどでした。忘れないうちにやってみようと。そしてもう一つ、福井名人戦を目指すためのそば打ち、その美しさ、力強さに目を見張りました。水回しは限りなく優しく、そば粉を愛おしむように、練りは渾身の力で練り込む、のしはまるでスケートリンクの氷上をすべるように、そして切りは一本の狂いもなく一定のリズムで切り進む。観ている人を引き付けるアスリートのようなそば打ちでした。でもご本人はまだまだ練習が足りないとおっしゃる。

「あんなのできっこない」と思いながら家に帰り、テレビを付けるとちょうど男子体操NHK杯の中継を放映していました。これがまた力強くそして美しい演技でした。この日、私の頭の中はそば打ちと体操が混ざって大変なことになっていました。

平成28年5月5日
日本橋そばの会
会長 横田節子

2016山中湖合宿

今年も山中湖の合宿に参加をさせていただきました。また富士山を眺められますようにと祈りながら夕刻車に乗り込み、 一目散で山中湖を目指します。夕食も取らず、でも途中温泉には寄って湯に浸かり、さっぱりして、 何だか訳が分からず夜半にようやく到着しました。
そのまま寝るのには少し早かったのですが、明日から始まる合宿が厳しいのか少し不安なのですぐベッドに潜り込みました。
一日目 オリエンテーションで合宿の内容を聞くと時間も余裕があり、みんなに付いていけそうと安堵し、一人ニコニコしていました。
鉢の作業、のし板での作業、切りと三通りに分け、ひたすら研鑽、まだまだ学ことが多く、到達点は見えません。
ただ、とっても嬉しかったのは一番苦手な切りの作業で一瞬ですが納得のいく切りができました。どこかで「練習は裏切らない」と聞いたことがありますが、改めてこの言葉を胸に刻みました。

さて毎回楽しみな昼食の賄そばは今回も手を抜いてはいません。
一日目 月見とろろそば、鴨南蛮そば

二日目 天麩羅そば、かけそば

三日目 大根おろしそば、けんちんそば

どれも出汁からしっかりつゆを作り、そばも産地、太さを違えてあるのです。

そう言えば、そば打ちの人たちは食に関して深く追求するタイプの方が多く、とことんこだわります。 この夜も各地から集まる仲間の皆さんに地元の蒲鉾を買って来てもらい、食べ比べをしました。
今回はシンプルな白の蒲鉾と指定をしたら、蒲鉾で有名な富山県は白い物は見つからなかったという興味深い報告もありました。
翌日は忍野村の豆腐の食べ比べ。
これが絶品!醤油はかえって邪魔で、そのままが美味しい。 口の中で広がる大豆の香り、ほのかな甘さを味わいました。
富士山から流れてくる水で美味しい豆腐ができるようです。

ところで今年の富士山は……。いつも通り雄大にそびえていました。 二日目の早朝、湖面にはくっきり逆さ富士が映り、白鳥がスーと泳ぎ、絵葉書のようなシーンになりました。

合宿も二年目、すっかり仲間とも打ち解け、和やかに話ができるようになり、この三日間は忘れていた若い気持ちで過ごしました。 「あと何回、参加できるかなあ」なんて思いながら見ごろの桜に別れを告げ、小雨の降る中帰路に就きました。

平成28年4月18日
日本橋そばの会
会長 横田節子

新年度の研鑽会

ピッカピカの料理室で 4 月初めての研鑽会がありました。
社教の料理教室がリニューアルされ、その期待のためでしょうか、集合は 9 時半なのに、私を含め皆さんもいつもより早めに来られました。料理室内は最新の調理台に変わり、全て新しい調理器具と、使い勝手が良さそうです。

以前、旧料理室でそばの出店をした際、調理台、シンク、ガス台がフラットにならず、 テーブルとして使い辛い時がありました。今回はシンクも IH クッキングヒーターもカバーをすると一面になり、きれいなテーブルに早変わりをします。これで秋の文化祭の出店は見栄えが良いそば屋になりそうです。
そして、食器棚にはそば猪口がズラリと並んでいました。他の料理クラブさんは使うか なあと思うと社教のお心遣いに感謝しました。

さて今日の自分のテーマは・・・・・・。
4 月下旬に開催される江戸ソバリエ・ルシック認定講座「手学テスト」で使用されるそば 粉の試し打をしました。私はその「手学テスト」の審査員をさせていただくことになっており、粉の状態や加水量を知りたいので、前もって粉を頂きました。品種はキタワセの胴搗きだとか。微分で打ちやすそうです。そして良い機会なので、認定会や大会に参加することから遠のいている今の私が 40 分で打つことができるが試してみることにしました。

一人緊張してストップウオッチのスタート。初めての粉なので慎重に加水をして様子を みました。少し固めかなと思いましたが、まとめてこねの作業に進みました。慎重になり結局こね鉢の作業は 14 分もかかってしまいました。少し焦りながら地のし、丸のしと進めていくと少し硬いのでどうしても延しに時間がかかってしまいます。

こんな時、逆に柔らかとこれはまた力の入れ具合を調整しなくてはならず難しい作業に なり、加水量の多い少ないは最後まで引きずってしまいます。
残り 10 分で切りに、厚さは 1.5mm くらいなのでそれに合わせ切らねばと思っても若干太 くなりがち、マッチ棒のように真四角にエッジを立てて、切るのは難しい。ギリギリ 40 分 で終了。どっと汗は出るし、クラクラしました。
でも、久しぶりのこの緊張はいい刺激になりました。これがそばを打つ歓びでしょうか。

平成 28 年 4 月 10 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

今年の課題

いつまで続くか分かりませんが……、最近気持ちが少し前向き兆候で、そば打ちがキチッとできるよう学び直しています。
そうなると結構課題が多くて難しいのです。
という事で、埼玉の先生のもとに教わりに行きました。 8時半頃道場に到着するともう間近に迫った福島県山都で開催される生粉打ち名人大会に出場するメンバーが練習をしています。 1.5Kの生粉打ちはハードルが高いなぁ~と見学をさせてもらいました。
他のメンバーは今年の四段位認定会に向けての練習です。いくら開催が秋とはいえ時間はあっという間に過ぎてしまうので、 計画を立て、練習を重ねていくプランを立てていました。
さてそれでは私は……。「そば打ちのデモをいかに正しく美しく打ち上げるか」これが課題です。
今の一番の難所は四つ出しを終え、肉分けをする時に一瞬でどこが厚いか、その肉をどの場所に移動させるかです。
形を整えつつ、厚みを一定にする、これを先生は一瞬の作業でやり遂げますが、
私はじっと上から麺体を睨んでもすぐに厚い場所を見つけるのが難しい、
形を整えるにしても小手先でついいじってしまう、ふうふういいながら厚さを整え、畳んで切りに入るのですが、 今度は厚さに対して若干狭く切る、その差を目に覚えさせる練習をしています。
あぁ~そば打ちは難しい。

平成28年3月12日
日本橋そばの会
会長 横田節子

江戸ソバリエ・ルシック認定講座 受講中

今、江戸ソバリエの上級者コース「江戸ソバリエ・ルシック認定講座」を受講していますが、 上級コースだけあって高いハードルです。 ①座学を受講して論文を提出する、②手打ちテストを受ける、③食べ方コンテストに参加する、 の三つを通過しなければならないことになっています。 でも、皆さんは熱心で、北は北海道、南は広島からいらしているようです。 ほんとうに「おそばってすごいな」と思います。

まずは耳学(座学)です。1日目は農水省のそば担当者、大学の先生、そば栽培農家の講義を聴講しました。 難しくて頭が痛くなりましたが、最近のそば事情や科学的に検証するそばが大変面白く感じられました。   2日目はおそば屋4店主のお話でした。それぞれがタイプの違うそば屋さんで、 老舗としての品格を重んじる店主、脈々と弟子にそば打ち技術を繋いでいく店主、 そばをアートの世界と融合させている店主、これからのそば屋を実践している店主と、 凄い方たちで何か熱い塊のようなものに圧倒されてしまいました。

折しも丁度京都にそばを食べに行く機会があり、そこでもご店主から京都のそばを根付かせる苦労と喜びを聞かせていただき、 一言一句が刺さりました。アマチュアの私は美味しいとされるそば粉でそばを打って、手順通りに作ったつゆでそばを手繰り、 満足していますが全く次元が違いました。 当たり前で今更と思うのですが改めてのプロの凄さを知りました。

さて、次は論文の提出です。きっと皆さんは中身が濃いのでしょうね。 私は何を書こうかまだ決まらずうろうろしています。

平成28年3月10日
日本橋そばの会
会長 横田節子

文さんへ

この度は三段位に認定をされましておめでとうございました。
そうですか……。 11 点も指摘しましたか。鬼の○長ですね。

私が行ったら迷惑かなと思いつつ今回も認定会場に行ってしまいました。
会場に着くと大勢のギャラリーとお手伝いのスタッフで凄い熱気。「あぁ…いつもの認定会だわ」と後ずさりをしそうになり「いやいや会長の私がこれではいけない」と思い直して会場に入りました。人を掻き分けFKさんを探すと、笑顔がとても落ち着いていました。
「これなら大丈夫」とまずは一安心。
さあいよいよ順番が来ました。後ろから見ていると流れがとてもきれいでした。
幾つかアクシデントはありましたが、時間も余裕があり私は、自信を持って 合格 の はなまる を付けました。
だからでしょうか小さな所作のミスをついつい言ってしまったのですね。これをまともに聞いてしまったFKさんはすっかりしょんぼりしてしまい元気なく椅子に座っておられました。私は朝が早かったので疲れているのだろうなんて全くの的外れな事を考えていました。いつも通りマイペースな会長です。
さて、三段位になりますと流れが大事なポイントになると思います。本人が堂々とそばを打っていれば小さなミスなんて気になりません。自分のそば打ちをするという事が大事になっていくのではないでしょか。私もまだまだです、一緒に頑張りましょう。

平成 28 年 2 月 29 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

いももち

北海道のカジゴーさんからクール便が届きました。
開けてみると中には白とヤマブキ色のお餅がたくさん入っていました。
あっ!これは……。すぐに電話をすると『遅くなったけど約束の「いももち」です。』という嬉しい言葉。

思い出しました。多分テレビで見たのです。北海道の人が皆大好きな「いももち」、家庭ではおやつ代わりに、居酒屋でも必ず注文してしまうと紹介がありました。
「えっ、私知らない、食べたい」と、私はカジゴーさんに訴えたらしい、全くイイ歳をして厚かましい。律儀な彼は酔っぱらいのたわごとを覚えていらして送ってくださったとのことです。
それでは早速いただきましょう。まずは一つ、レンジで暖めてパクリ。うーん美味しい!もっちりしているのでお餅ですが、ほのかにジャガイモのあのマッシュポテトが舌に感じます。
ジャガイモデンプンと小麦粉グルテンのコラボかな?分からないけどそんな気がしました。
そこで丁度おでんを煮いて(たいて)いたので二個入れて様子をみました。これは失敗。

つまんでみるとおでんの汁が浸み込んで「いももち」自身は美味しいのですがジャガイモが溶け出し、おでんの汁が濁ってしまいました。
翌日、四つに切ってミネストローネに忍び込ませました。好い感じです。溶けだしたジャガイモは適度なとろみになるし、残った餅はショートパスタのようで美味しい。
これだけでボリュウム満点のランチになりそうです。
さて、改めてパソコンで「いももち」を検索してみると、レシピがたくさん載っていました。
どうやらチーズ、バターと相性がいいみたいで、バターで焼いてさっと醤油をかける、とろけるチーズと一緒に焼く、
正統派はさっと焼いてみたらし団子のあの甘辛たれにつけて食べるらしい。どれも美味しそうです。
カジゴーさんは笑い声で「独り占めにしてもいいですよ」とおっしゃってくださいましたが、
そんなには欲張りません。会の研鑽会でワイワイいただきます。
ごちそうさまでした。

平成28年2月22日
日本橋そばの会
会長 横田節子

美味しいウイーン  

旅の楽しみの一つにその国の食物を味わうことがあります。
もちろんこれは絶対に外せない、しっかりと食べつくしてまいりました。
シュニッツェル(薄いカツレツ)、グラーシュ(ビーフシチュウ)、ターフェルシュピッツ(ブイヨンで煮込んだ薄味のボイルドビーフ)どれもジャガイモが付け合わせになっていて、ゆでたもの、小麦粉と練って団子にしたもの、フライドポテトを粗みじん切りにしたベーコンと炒めたものといずれもたっぷり添えてありました。私はこのうちの一皿とワインがあれば夕食はもう大満足です。

ところでオーストアは酪農が盛んな国で、肉が比較的安いようです。しかもブロックや厚切りで売られていて、日本人は薄くスライスした肉に慣れているので困ると聞きました。早速スーパーの精肉売り場で確認、なるほどと納得しました。これでは「焼きそば」や「肉じゃが」はできそうにありません。外国で暮らしているとこの 2 つは無性に食べたくなるそうで、知りませんでした。
また、チーズ、ヨーグルトも美味しくて、私は毎朝 250 gのプレーンヨーグルトをしっかり食べました。食べ応えがありましたが、おかげで旅行中はずっと元気、ヨーグルト効果だったと思っています。そういえば缶ビールも 500 ㎜ℓ缶で 350 ㎜ℓ缶は売られていません。種類もたくさんあって日本より安価、どれが美味しいか分からないので陳列ケースの前で迷っていると、若い男性がサーっと一本取って行きました。すかさず私もそのビールを真似して一本買い、部屋で飲んでみるとコクのあるドイツのビールみたいな味がしました。

さて、ウイーンと言えばカフェ。もちろん何度も行きました。ただ残念なことにザッハトルテは食べられませんでした。何度もホテルザッハの前は通ったのですが、お茶の時間帯はカフェには行列ができていました。激寒に外でカフェに並ぶというのはとても無理、空いている朝にと思っても、あの重そうなチョコレートケーキを挑戦する気にはなれませんでした。そこで代わりにウイーン風アップルパイを食べてみました。パイ生地は薄くて、中にはリンゴ煮がぎっしり詰まっていました。思いの外、甘くなくあっさりしていて美味、たっぷりのクリームソースが添えられています。カロリーはどのくらい?

地下鉄に乗って Y さんお勧めのウイーンで 1 番美味しいコーヒーを飲みに行ったり、市場を散策したり、マックカフェに入り、日本と味は同じかどうか確かめたりと、楽しい時間を過ごしました。
オーストリアは昔から水が美味しいことで知られ、ホテルでも生水が飲めますし、カフェでも必ず水が添えられていました。水が美味しいことは全ての料理が美味しいことになります。(そば打ちには良い環境だわ……。)
滞在中、私はスーパーマーケットに何度も足を運び見て回りました。オーストリア人は BIO が大好きで身体に良いオーガニック製品がたくさん並んでいました。
ありました!そば粉です。 BIO と表示がしてあります。グルテンフリーともあります。小麦粉アレルギーの方が買われるのでしょうか。

このそば粉で何を作るのだろう。
今回は残念ながら日本料理店に行く機会がなく、ウイーンでのそば事情は皆目分かりませんでした。でもそば粉は売られている。水も美味しい。案内役の Y さんから「季節の好い時にそば打ちに来ませんか」と提案がありました。どうしようか、計画を立ててみようか、
「行こうよ」耳元で誰かが囁いています。

平成28年1月20日
日本橋そばの会
会長 横田節子

ウイーンで迎えたニューイヤー

リフレッシュしよう。自分にご褒美をあげようと、今年のお正月は初めて海外で過ごしました。飛行機での長旅は少々きついのですが、映画を見たり、目を閉じたりして過ごし、成田を出発して 9 時間後、目的地ウイーンに到着しました。寝不足と緊張が織り交ざり、身体がフワフワしていましたが出迎えに来てくれた現地の知人 Y さんと合流し、ようやく私の不安は取り除かれました。

ウイーンフィルのニューイヤーコンサートに行く女性 K さんのお供というちょっとした仕事でもあるのですが、私もコンサートに同席するので、凄く楽しみでした。楽友協会のたくさんの花で飾られた重厚なコンサートホール、その中に集まった観客、どんな服装をしているのか、日本人の女性はやはり和服が多いのかなんて想像するだけでも嬉しくなってしまいます。そしてウイーンフィルの生音はどのように繊細で、またドラマチックに響くのか。
さて、実際は……夢の時間でした。マリス・ヤンソンス氏の指揮は美音の極み、しかも軽やか。音色がホールを包み込んでいました。皆、気持ちがハッピーになる誠に新年を祝う音楽会でした。

さて、町の中心部はとても分かりやすく、地下鉄、路面電車が走り、移動が簡単でした。

そしてカトリックの教会が多く建っていて、私たちはあまりにも外が寒いので中に入り、暖を取らせてもらいました。ウイーンの教会はステンドグラスがあるような華やかな教会ではありませんが、市民にとって居心地の良い、心のよりどころなのかと感じました
でも、シュテハン寺院は格別で、どこまでも伸びていく塔は天まで届く階段のようでした。都会の真ん中にあるのにもかかわらず圧倒される風格と尊厳さを併せ持っていました。

コンサートで音楽を聞き、教会で瞑想の時間を持ち、美術館で名画を鑑賞していくうちに
私の非日常は豊かに過ぎていきました。

平成28年1月19日
日本橋そばの会
会長 横田節子

年頭に思うこと

新しい年を迎えました。
日本橋そばの会も10年目に入り、今年は節目の年になりそうです。
何をしようかと考えるとワクワクしますが、
まずは皆元気で楽しくそば打ちができる研鑽会にしよう。
少しずつ粗挽そば、生粉そばの練習を取り入れよう。
難しいけど更科そばも。
いつも好評なうどん打ちも続けたい。
それから座学を学ぶ。 そば猪口の勉強も良い。
そばの食べ歩きも楽しそう。
そばの産地への旅行なんて行けたらいいな。
やりたいことは沢山ありますが、やはり一回一回の研鑽会を大切にするのが一番です。

平成28年1月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

大晦日

ビートルズの数多い楽曲の中に「When I’m sixty-four」という曲があります。
幼児番組「ひらけポンキッキ」のBGMにも使われていたことで有名で、曲の内容は恋人に向かって「64歳になっても僕を必要としてくれるかい?」と問いかけるラブソングです。

When I get older losing my hair
僕が歳を取っておじいさんになった頃
Many years from now
ずっと先の話だけどさ
Will you still be sending me a Valentine
そんな僕に君はバレンタインチョコレートをくれるのかな?
If I’d been out till quarter to three
もし僕が深夜の三時になっても家に帰ってこなかったら
Would you lock the door
家のドアの鍵を閉めてしまうのかな?
And if you say the word
もし君が僕を必要だと言ってくれるなら
I could stay with you
君の傍に居たい
I could be handy mending a fuse
ヒューズが切れたら僕が交換するよ
When your light have gone
電球が切れた時も任せてくれ
Will you still need me
ずっと僕を必要としてくれるかい?
Will you still feed me
ずっと一緒にご飯を食べてくれるかい?
When I’m sixty-four
僕が64歳になっても

参考(リリース:パーロフォン、キャピトル、EMI)
(和訳 :ハルさんのブログから)

私たち団塊の世代はビートルズを聞きながら大人になりました。
今、まさにそば打ちの中心はこの世代でしょう。60代、70代はまだまだ元気。
もちろんヒューズや、電球の交換なんて朝飯前の仕事。そして私たちはそば打ちが得意です。

食事の支度だけど、君は何もしなくていいよ。
今から僕は君のために極上のそばを打つんだ。

今日は大晦日、全国のそば打ちが大切な人のためにそばを打つ日です。

平成27年12月31日
日本橋そばの会
会長 横田節子

 素人そば打ち高山大会

岐阜県高山市で「全麺協素人そば打ち四段位認定会」が開かれ、私もスタッフとして参加させて頂きました。

集合は前日の夕刻でしたが、せっかくなので少し早めに行き、散策をしようと一人で電車に乗り込みました。何しろ天気予報では寒波が到来し、雪模様とあるのでしっかり冬支度の完全防備、ですので東京駅や電車の中では暑くて困りました。新幹線であっという間に名古屋に到着、そこから高山線に乗り換えました。高山線のビュー飛騨号は窓が大きく、要所では観光のアナウンスまでが入りすっかり旅行気分になりました。しばらく車窓の景色を楽しんでいましたが、下呂温泉を過ぎたあたりから空は曇り始め、何やらみぞれが降ってきました。みぞれはすぐに雪に変わり、外はかなりの横殴りの雪、「初雪」でした。

午後1時過ぎ、降り立った高山駅も雪、旅行者にとっては何ともロマンチックな雪で古い町並みにぴったりと勝手に感動し、取りあえずお腹がすいたので早速「恵比寿屋本店」を目指します。駅前で手に入れた観光地図を見ながらの散策で直ぐに見つかりました。この店は行く前に蕎麦屋さんに詳しい方から教えて頂いた店で、古い佇まいが老舗の貫録を示していました。本当は「もりそば」をキリッと食べるべきなのでしょうが外は雪、温かい「なめこそば」を注文しました。少し平麺で、スルスルと喉に入っていくそばでした。

つゆは思ったよりは甘くなく、すっきりした後味でした。すっかり温まったので本格的に散策、町は平日の悪天候にもかかわらず観光客で結構賑わっており、高山に人気ぶりがうかがえます。

そういえば車中も外国人が大勢乗っていて高山、白川郷に行くのかなあと想像していました。

さて、少し早めに認定会会場に行くと、もう現地のスタッフの皆さんが準備の最中で、会場はほぼ整っていました。明日から二日間に渡り四段位に認定会、早めですが、受験者の皆さんは緊張した面持ちで会場の雰囲気を見学されていました。私も四段位受験の時は一人、大雨の中、福島県の磐梯に行きました。心細くて泣きそうでした。受験生の皆さんを見るとつい、そんなことを思い出しました。

二日間の認定会は難しい粉を相手にいかにして練習の成果を発揮できるかです。落ち着いてそば打ちができた人、苦戦した人と悲喜こもごもで、その中で今回、最高齢の方の凛々しいそば打ちをされました。成績も最優秀でしたが何より姿が美しく、打ったそばが素晴らしく、年齢を味方にしたそば打ちに見え、また、素人のそば打ちの手本だと思いました。

夜の交流会では、久しぶりの方や、初めて言葉を交わす方と、また大きく繋がり、広がりました。こんな時、「そば打ちを続けていて良かった。」とつくづく思うのです。

平成27年12月5日
日本橋そばの会
会長 横田節子

亡き友の「つゆレシピ」

今年も「蕎麦春秋」編集長四方洋さんが催されている「東京蕎麦の会」のそば振る舞いを担当させていただきました。
二回目なので前回ほどの不安はありませんでしたが、素人の私がお客様にそばを出すことには勇気が要ります。
今回のそばは「北海道美幌産キタノマシュウ」。これは10月に行われた「第3回武蔵の国名人戦」で2名の方が使っておられ、食味審査の折、香りと甘さが上品でいっぺんに気に入ってしまったそばです。そしてもう一種はやはり大好きな「福井県大野産早刈り」と、すぐに決まりました。
さて、次は汁づくり。そんな時、私はいつも亡き友人のレシピを取り出します。何年も前の黄ばんだ封筒に入ったレシピです。分量はしっかり覚えているのですが、私は彼女の大きくしっかりした字を見つめながら確認し、今はもういない友人を偲びます。
彼女の家で開かれる「そば打ち研鑽会」に誘われて行き始めたのはもう何年前でしょうか。毎回和やかに練習を重ね、やがて私たち数人は準備のため少し早めに行くようになり、準備が終わると早めの昼食を取って歓談をしていました。そのおしゃべりの中で「つゆが美味しいのでレシピがほしい」とお願いしたところ、直ぐに郵便で送ってくださいました。それからはずっとそのレシピでつゆを作っています。
ある時、彼女はお昼ごはんに冷やし中華を作ってくださいました。でも心配顔で「私、最近味覚がおかしいので美味しいかどうか心配なの」と言われるのです。私たちは皆で「美味しい、美味しい」と言って食べました。でも彼女は食べません。「どうしたの」と聞くと、「ううん、私はいいの。でも皆さんから頂いたスイカを食べたわ、冷たくて美味しい」と笑顔でおっしゃっていました。そして、それから一週間ばかり過ぎた頃、彼女の訃報が突然届き、信じられずしばらく茫然としました。少し時間が経つと、以前に大病をされ、ずいぶん前から体調を崩されていたこと、味覚も病気のため感じられなくなっていたことが分かってきました。でも鈍感な私は彼女に甘え、自分のそば会までお手伝いをお願いしていました。体調が良くないなんて微塵も見せず、定例の研鑽会ではいつも笑顔で、背筋がピンとしていて、私たちが帰る時はいつまでも門の前で見送ってくださるステキな方でした。
その彼女の「つゆレシピ」は私のバイブルの一つです。
今回のそば振る舞い用のつゆを作り終え、準備も整ったのはそば会の前日でしたがもう安心でした。当日、そば振る舞いも順調に進み、お客様からは美味しいとのお言葉を頂き、心地よい疲れと共に皆で喜びました。亡き友も天国から見ていて、きっと喜んでくれたと思います。

平成27年12月3日
日本橋そばの会
会長 横田節子

HSさんへ・・会長のひとりごと

Sさん、三段位に認定され、おめでとうございました。
三段位の認定となりますと、初二段とはそば粉の量はもちろん違い、そば粉の種類も微妙に異なり難しくなります。
また、何より審査員の目が格段と厳しく、したがって合格率も低いようです。その中で、大変優秀な成績で認定されたことは、ご本人の努力の賜物と、心からお祝い申し上げます。

さて、認定会当日ですが、きっと一人で心細くしていると勝手に思い込み、日光そば祭りも開催されていることだし、晩秋の日光に行ってみようと応援に行った次第です。ところが予想に反しSさんは、すっかり認定会を楽しんでおられるご様子、それもそのはず、お隣には美人の奥様がしっかりとサポートされており、結局はおじゃま虫でした。しかも空気が読めない私たちは後ろにしっかと座り、無言の圧力をかけたようです。全く背後霊ですね。でもSさんはそれも見事に振り払い、集中して「好いそば打ち」をなさいました。面識のない隣の方も褒めていらっしゃいました。私たちはとても嬉しくなり、すっかりお友達気分で蕎麦談義をしました。「包丁切り」の特訓は十分成果があったと推測いたします。

只、いくつか「えっ!」という所作をされ、ヒヤヒヤしたりもしました。これは私たちの指導不足と思われ、反省するところです。皆、これからも上位段を目指すことでしょうし、細かな所作や基本を改めて研鑽しようと来年の目標がひとつ決まりました。

平成27年12月2日
日本橋そばの会
会長 横田節子

今年の作品展

立冬の11月8日(日)に「日本橋そばの會」一番のイベントがありました。
日本橋社会教育会館の文化祭「作品展」への出店です。日頃、研鑽場所をお借りしている当會も、ご恩返しのつもりで参加させていただきました。
この日まで、参加人数の把握から、出店のための細かな準備、材料の調達まで、皆さん忙しい時間を割いての作業、そして作品展前日の午後、会場へ行くと、もう仲間は勢ぞろいしていました。
〇長の私はといえば、ここ最近は何もせず威張っているだけでまったく申し訳ないくらでいす。
今年も、評判のいい「穴子の天麩羅」と「もり蕎麦」が中心です。 穴子は築地市場から調達、絶品の江戸前穴子が届きました。大きいので四等分にしても大丈夫そうでしたが、エエィ!と三等分に、南瓜とピーマンを添えて○○円。儲けはありません。それでも皆、楽しそうに語らいながらそば粉を計量したり、会場設営をしたり自然と気分が高揚していきます。

さて、当日、生憎の小雨模様で、悪い予感が・・・。10時過ぎても館内はガラ~ンとしていて客足は今ひとつ。こうなったらみんなで穴子の天麩羅食べ放題か~。一瞬覚悟をしました。

でも11時近くなったら、何といきなりお客様がどっと押し寄せてきました。それからは大変。各自持ち場でパニック状態が続きました。
ただ、天麩羅担当の二人は落ち着いて淡々と天麩羅を揚げていました。それもそのはずで二人は食のプロ中のプロ。当たり前ながら、さすがでした。プロはやはり所作がきれいです。一つひとつ素早いのですが、丁寧です。これはそば打ちも同じと思いました。
先日催された「第3回 武蔵の国そば打ち名人戦」での名人揃打ちは圧巻でした。流れが嫋やかで、扱いが丁寧で、全体は凛としている。やはりやり遂げるという事の重さを感じました。

私たちの出店は、午前11時開店で午後2時には売り切れ。怒涛の三時間でした。 でも大勢のお客様に喜んでいただきましたし、全員参加の出店。今年も無事盛況に終えることができました。

平成27年11月10日
日本橋そばの会
会長 横田節子

おそばにワイン

10月10日新宿発朝7時の「あずさ1号」は満席。1人で行くのだから自由席に飛び乗ろうと思いましたが、駅員さんの助言で指定席を取っていたので助かりました。 行き交う人の波を避け、ようやく席に着き見渡すと、車内はこれから行楽に向かう人たちで華やいでいました。

さて、今日から3日間「第12回 信州・松本そば祭り」が長野県松本市の松本城内で開催されます。私は初回から毎年行っていたのに、ここ数年は何か足が遠のき、今年は久しぶりに行ってみたくなりました。
ざわざわしている発車時間ぎりぎりに、隣の席に若い男性がスッと座りました。そして座るやいなや、朝ごはん用なのでしょうか、お弁当を美味しそうに食べ始め、食べ終わると一息つき、何やら冊子を取り出して読み始めました。 私は何もすることがありません。車窓の景色は生憎モヤっていて山並みは見えず、楽しみにしていたのに残念、2時間45分何をしようかボーと考えていました。

そこで隣の男性の手元をチラッと見ると冊子の題目は「ワイン大学」と書いてありました。難しそうで面白そうな、ワイングラスや葡萄の種類の写真も載っていています。 勝手に興味がフツフツ湧いてきて、しかも感じ良さそうな方なので思い切って話しかけました。「ワインの勉強ですか?」そうしたらキチンと答えてくださいまして、出身地の伊豆でワイン作りができないか、塩尻市が募集したワイン大学で学んでいるとのこと。そして今日はいよいよ葡萄を収穫し、明日は漬け込む予定だとか。こういう話題は大好きなので厚かましくもしつこく聞いてしまいました。
すると男性は「ところで今日はどちらへ?」と、私は「これから松本に行きます。」「そうですか、確か松本は今日からそば祭りをやっていますよ」。私は「えっ、ご存知ですか!私は久しぶりにそのそば祭りに行きます。」なんて、私はワインのことを、あちらはそばのことを質問、すっかり楽しい時間を過ごしました。勉強の邪魔をしてしまいましたが、もし今後伊豆にワイナリーができたらこの青年だと想像するとすっかり嬉しくなりました。

さあ松本到着。松本城までの道は整備がされていて散策するには楽しい所ですが、目をつぶって通り過ぎ、そば祭り会場に急ぎました。大勢の人たちで賑わっている会場内のあちこちのブースには、久しぶりのそば打ち仲間が勢ぞろいをしていて温かく迎えてくれました。
夕方まで楽しい時間を過ごし、美味しいおそばをお腹いっぱい食べ、お土産も買い込み、長野県の空気を深呼吸して、夕刻最終の「あずさ36号」に乗り込みました。 私は、朝の青年に尋ねそこねたことを思い出しました。「お蕎麦に合うワインってありますか?」って。辺りをキョロキュロ見回しましたが、青年は見当たりません。当然ですね。

窓の外は漆黒の世界、グループ旅行の方たちの静かな会話が聞こえてくるだけでした。 新宿に着くと深夜にもかかわらず大勢の若者たちが楽しそうに忙しそうに行きかっていました。その雑踏の中に一人ぽつんと立つと、今日一日の出来事がまるで遠い昔の出来事のように思えてきて、私は慌てて家に帰りました。

平成27年10月10日
日本橋そばの会
会長 横田節子

済州島、蕎麦の女神

済州島に到着したのは午後2時過ぎ、済州道庁の方々の出迎えを受け、まずは同庁に表敬訪問をしました。
そこにはもう会議室が用意されていて早速歓迎レセプション、段取りの速さにビックリしました。

道庁

道庁

でも驚きはこの先も続きました。丁寧に済州島の紹介をする方も通訳も皆ステキな女性陣です。ちょっと李さんが「本土で交通渋滞に遭い昼食抜きで来た。」とジョークを言うと、すぐに韓国の海苔巻きキムパプを用意してくださいまして、その美味しいキムパプをいただきながら済州島の歴史を勉強しました。まず、済州島は石が多く、風が強く、女性が多いことから三多島、泥棒と乞食がいなくて家の表門がないことから三無島と言われていると紹介されました。石の多くは島の真ん中にある漢拏山(ハンラサン)の火山噴火によって生成されたもの。島民はこの石で石垣を築き、島特有の強風も風が通り抜けられるように積み上げ、美しい風景に変えていました。

女性が多いのは魚を獲りに行った男たちが台風に遭って帰ってこられなくなったからと説明がありましたが、同庁の女性陣は「今は違います。」と笑って付け加えていらっしゃいました。三無島とはそのままに善良な島民たちの平和な島を象徴しています。 せっかくなのでと島の風景を楽しみながら穀物倉庫に案内をしていただき、普通蕎麦と韃靼蕎麦の貯蔵庫を見学しました。いずれも小粒なのは、島は風が強いので倒れやすい畝撒きができず、たくさんの蕎麦の種をばら撒きにしているためと推測されました。
ところで、晴天の日も激しい雨風が吹き付ける日もいつも気丈な姿勢で済州島を見守る守護神「トルハルバン」は心強い父親のようでもあり、おおらかでその姿はユーモラス、私は石仏が大好きなのでつい立ち止まってそのたびに見入ってしまいました。

翌日いよいよ島民の方々との交流会が予定されています。
蕎麦栽培農家の女性陣が伝統の蕎麦料理を振る舞ってくださると、聞き及び、楽しみにしていました。天気も絶好の晴天、昼前に到着すると驚くことにテレビ局まで撮影に来ており、私たちより農家の方々が緊張されていました。これも同庁の女性陣が綿密に作り上げた企画だそうです。

そば料理体験

そば料理体験

そして、今日の主役、蕎麦料理はキチンと一つづつ作り方を説明し、実際にその場で作ってくださいました。

(ムック・・韓国の蕎麦豆腐、トルレット・・そば粉とサツマイモを混ぜて蒸したもの、そば餅・・そばのお焼き)

通訳を交えてですが会話も弾みます。栽培農家の女性陣はとても親切で美しく素朴な感じがとてもすてきでした。温かい最高のおもてなしを受け、この時もああ少しでも会話が直接できたらと悔みました。

さて、済州島にも「蕎麦の女神」がいらっしゃいました。名前を「チャチョンゲ女神」といい、女神は民に栽培させる良い穀物を天から地上に持ってきてくださいました。それが蕎麦の種で女神はあまりにも大事に、こぼさないようしっかり脇にギュッと挟んできたので丸い種は三角になってしまったそうです。
またこんなことも聞きました。蕎麦は『黄⇒根、青(緑)⇒葉、白⇒花、黒⇒実、赤⇒茎』となり、韓国の伝統食文化「五味五色」が揃っている高貴な植物なのだと。改め蕎麦は凄いと思った一瞬でした。

おまけ:大韓民国の行政区の一つ「済州特別自治道」は済州島全体と牛島、馬羅島などの付属小島嶼からが成っており、道都は済州島の済州市にあります。

会長日記
平成27年9月28日
会長 横田節子

蕎麥の花の頃(When Buckwheat Flowers Bloom)

韓国の人たちは「蕎麦」と聞くと、畑一面に真っ白に咲く蕎麦の花を思い浮かべると聞き、その蕎麦の花畑が見たくて、
全麺協主催の『江原道平昌群「そばの花祭り」・済州島蕎麦産地現地研修視察』に参加をしました。
4泊5日の研修、前半は韓国北部の平昌(ピヨンチャン)に行きます。ここは2018年に冬季オリンピックの開催予定地で、風光明媚な避暑地と聞いています。後半は済州道へ飛び、蕎麦産地の視察をし、現地の方々との交流を予定しています。

さあ、出発。成田空港から2時間半の午後3時、韓国仁川(インチョン)空港に着くと、今回全てを案内してくださる李鎬淳(イ・ホスン)氏が笑顔で出迎えて下さいました。李さんは平昌で大きな観光農園「ハーブナラ」を奥様と経営し、また他にも幅広く仕事をされている方で、流暢な日本語を話される国際人です。お会いするのは2度目ですが、フランクな話しぶりにすっかり和んでしまいました。直ぐにチャーターバスに乗り込み3時間余り行くとハーブナラに到着です。
そこは空気がツーンと澄んでいました。山と川に囲まれ、たくさんのハーブや、花が一面に咲き競う壮大なガーデンでした。
宿泊設備も整っていて、ステキなコテッジに宿泊ができます。私たちは2日間滞在し、自然を満喫しました。軽井沢と北海道の風のガーデンを一緒にしたような贅沢な立地でした。

食事も採り立て野菜やハーブが工夫されており、とても美味しく、身体の隅々までリラックスし、綺麗にしてくれそうな料理が並んでいました。

翌日、天気予報は見事に外れて晴天。日程表には山菜試験所見学⇒英陵(世宗大王陵)参拝⇒中食(精進料理)⇒木芽(佛教)博物館観覧⇒原州韓紙文化祭見学⇒李孝石文学館見学⇒夜の蕎麦畑とあり、盛りだくさんの予定が組まれていました。

ところで、私は韓流ドラマ大好きです。「冬のソナタ」にハマってからは韓流ドラマを見続け、次第に現代物から時代物に移りました。韓国の時代物は日本の戦国時代ドラマよりも戦闘シーンがリアルでしたが目を背けず見続けました。だからでしょうか、説明を聞いても少し理解ができたような気がしました。27代まで続いた朝鮮王朝の中で一番国民に尊敬されている世宗大王(セジョンデワン)が考案された「ハングル文字」、私はさっぱり分かりませんが、整然としていて美しい文字で、読めたらいいなあ~、勉強しようか~と韓国に来るといつも思います。まあすぐに挫折しますが、今回も思うだけになりそうです。

さて、蕎麦畑を見下ろす丘の上に韓国の作家李孝石(イ・ヒョソク)(1907~1942)の文学館がありました。代表的な作品『蕎麥の花の頃』は彼の故郷である平昌が描かれ、散文のような美しい作品で韓国の教科書には必ず載っているのだそうです。ということで、韓国の人たちは「蕎麦」と聞くと真っ白な蕎麦畑を連想するのだそうで、ロマンチックな感性に驚きました。館内をゆっくり鑑賞し、文学館を出る頃には空も暗くなり始め、夜になりかけていました。私たちはライトアップされた広大な蕎麦畑の真ん中まで進み入り、そこで一斉に風燈を夜空に揚げました。真っ暗な夜空に幾つのも灯りになって揚がっていく風燈は息を飲むほど幻想的な風景でした。

平成27年9月24日
日本橋そばの会
会長 横田節子

第5回全国高校生そば打ち選手権大会

通称「そば打ち甲子園」と言われている「全国高校生そば打ち選手権大会」が8月21日に東京都中央区で催されました。
今回私は初めてスタッフとして参加、慣れない司会ですが、高校生のそば打ちが見たくてワクワクしていました。前日、
準備のため会場に行くと、もう高校生たちは会場の下見に来ていました。凄い!気合いの入れ方が違いました。

さて当日、可愛くもあり凛々しくもある選手たち、日頃の認定会とは空気が違いました。私も気を引き締めて「元気よく、選手の邪魔にならないように、自分も楽しむ」と言い聞かせ、ナリオと格闘しながら頑張りました。
今年で5回目の選手権ですが、初回の出場校は5校、前回は11校です。そして今年は倍以上の26校が参加。それには学校側の取り組み、担当の先生方の指導、それから何といっても地域のそば打ちの皆さんの努力があります。貴重な時間を割いて高校生を指導し、ここまで来たとつくづくありがたく思いました。また高校生たちも地域、家族の応援を受け、夏休みを返上して猛練習をしてきたと伝わってきました。
思いの外大きな大会になり、各地からのテレビ取材も多数、思い通りできた人、失敗してしまった人、悲喜こもごもと思いますが、良い夏休みの思い出になったことは明らかでした。
子供が、孫が、一心にそば打ちを練習し、そのそばを毎回食べていた親御さん、祖父母方々の笑顔が浮かび、「美味しいよ」「頑張れ」という声が聞こえてきた大会でした。

平成27年8月31日
日本橋そばの会
横田節子

味噌作り

東京生まれの東京育ち、今も東京に暮らしている私は8月のお盆はゆっくり休日を楽しみます。でも3日も休むとさすがに暇を持て余し、さて何をしようかと、すると春に作った味噌を思い出しました。

3月初旬、友人たちと房総に行った折、立ち寄った「たんぽぽはうす」で手作り味噌の材料が目に留まり、早速注文をしました。自宅に材料が届くや否や、えい!とばかり作りました。材料の大豆は「小糸在来」という品種で茹でて食べても甘い大豆です。そういえば、私の味噌造り履歴は古く、たぶんそば打ちと同じくらいでしょうか。そもそも穀物関係の仕事をしていたので、年末には小豆、大豆,大手亡など数種の豆を頂きます。そこで味噌を作り始めました。「前日に水に浸しておいた大豆を茹で、潰し、塩と米麹を混ぜ、樽にキッチリ詰めて熟成を待つ」易しそうな作業ですが、小業は必要でした。

一時はすっかりハマり、各地のいろいろな大豆を取り寄せたり、潰すために家庭用の挽肉器を使ったり、麦麹ではどのような味噌になるのか、失敗を含め試行錯誤していました。何しろそばと違い結果が出るのは約一年先なので気を長くしなくてはいけません。その後、自分の味噌作りレシピに落ち着き、毎年仕込んでいましたが、ここ1、2年はサボっていました。でもやはり買った味噌はなんとなく満足いく香りがないかな~と感じていました。

久しぶりの味噌作りですし、猛暑の東京はあまり好い環境とはいえないので、カビが来ていないかドキドキしながら蓋を開けると、お~大成功!

カビひとつなくきれいな黄金色の味噌ができていました。少し若い味噌ですがもう食べられます。「よしよし」と言いながら天地返しをし、綺麗にラップをして、その上にカビよけの唐辛子を数本のせ、蓋を閉めました。思いの外熟成が早いのであと数か月で出来上がるでしょう。すっかり安心し、「新米のごはんとお味噌汁」が楽しみになりました。

平成27年8月15日
日本橋そばの会
横田節子

そば寿司講座

平成22年、私は全麺協が主催する段位認定の五段位に認定されました。
それまでの私のそば打ち人生は段位認定と共にあり、運を味方に付け歩んできましたが、でもいざ五段位となると嬉しさよりも、その重さに気持ちが震えました。「そば打ち」、「そばにまつわる知識」をもう一度学び直したいと強く思い、先輩や知人に相談に乗っていただき、ようやく埼玉にお住いの安田先生を紹介していただきました。
先生は医療関係の学校で教鞭をとる傍ら、料理にも精通され、広い知識をお持ちになっています。また、仕事柄そば打ちも科学的に考え、証明されるところはとても分かりやすく新鮮です。

ということで、安田先生の一か月に一度のそば講座、第3回は「そば寿司」です。
私は以前、一度だけ他所で習ったことがあるのですが、その時は「まきす」を2枚使って作りました。ひっくり返すのが難しかったのを覚えています。ところが今回は「まきす」は1枚です。「市松」「蛇の目」「そば稲荷2種」の3種、興味が湧いてきました。
まずはそば打ち、更科そばを打ちました。「かわりそば」として1種は食紅を入れ桃色に、もう1種はなんとレタスの粉末を入れて緑色のそばを打ちました。このレタスの粉末は先生の自家製で、香りもなく、茹でても湯に色がつかないのが良いとのことです。レタスの粉末は初めて見ました。

 

さて、この3種のそばを茹で、寿司酢をまぶし、材料は揃いました。先生は手際よくそば寿司を作っていきます。「ちょっと待って!もう一度」と思うくらいの速さでした。さあいよいよ生徒の番、海苔の大きさや、巻いていく方向も忘れてしまい、皆で相談しながらワイワイと作りました。「市松」は一つひとつ四角に作るのがポイント、それがなかなか難しい作業です。そばは時間が経つと少し膨らんでくることも計算に入れて巻くこと。「あぁ上手にできない~。」 次は「蛇の目」、何回もそばの種類を変えて巻いていきます。私は渋めの蛇の目傘をイメージしましたが。結果はパッとしませんでした。綺麗な桃色を入れたほうが映えるようです。次回は可愛い蛇の目にしようと反省。
気を取り直し今度は蕎麦稲荷作り、そばに紅ショウガを混ぜたものと、稲荷の上に筍の煮物をのせ目先を変えて2種を作りました。

最後は盛り付けです。半月盆に姿良く盛り付けていくのですが、そう簡単ではありません。キャンパスに絵を描くようにとアドバイスがありましたがうまくいかず結局見本とほとんど同じになってしまい、美的センスの無さが露見してしまいました。
あしらいには柿の若葉や白髪ねぎなど食用になる葉を使います。紫陽花の葉や水仙は毒があるので使わないと教わりました。後で調べましたら毒のある植物は思いの外たくさんあることが分かりました。
ようやく出来上がり、全体にはきりっとしていませんが食べるのがもったいないようなそば寿司が完成しました。

 

平成27年8月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日本橋そばの会ホームページ

平成26年5月、会員同士の連絡に、また会の活動を広く閲覧をして頂くために始めたホームページですが、おかげさまで1年が経ちました。起ち上げから更新作業まで緊張を保ちつつ、和気あいあいと日々進め、同年7月26日から始めたアクセスカウント数も7,000件に達し、大きな励みになっています。ホームページを支えて下さいました会員の皆様、アクセスをして下さいます全国のそば友の皆様に深く感謝しております。
ありがとうございました。
「日本橋そばの会」も8年目に入り、活動と共に、より充実したホームページになるように努力をしなければと改めて思いました。そうすることで、全国の皆様に引き続き応援をしていただけるのではと願うばかりです。

平成27年7月吉日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日本料理 「ながや」

3月、“ながや 開店のおしらせ“と書かれたハガキが届きました。よく読むとフランスのパリでお世話になった長屋偉太さんからでした。住所は神奈川県小田原市早川とあります。
すぐにも行きたかったのですがぐずぐずしていて、とうとう7月になってしまいました。

「ながや」の若い店主長屋さんがパリの蕎麦屋「YEN」で修業をしていた時、私は大変お世話になりました。初めてのパリ旅行で張り切りすぎ体調を崩した私は長屋さんの作る料理に救われました。海外に行っても、その国の料理を楽しむタイプで日本料理が恋しいなんて思ったことはないのですが、あの時は胃が受け付けませんでした。よれよれの私は長屋さんが作る優しい料理でようやく食欲が戻り、後半の旅行も楽しいものになりました。翌年、またパリに行った時は私たちの戯言「日本では今、鰻が高くて食べられない」を聞き翌日、さっと仏産の鰻で鰻丼を作って下さいました。美味しかった。

久しぶりの長屋さんは全然変わらず若いのに落ち着いて再会を一緒に喜んでくれました。
こじんまりした店内は隅々までこだわり、外観とのミスマッチが返って面白く感じられました。さあ、料理を頂きます。さすがに高級料亭吉兆の出身とあって一つひとつ丁寧な仕事ぶりで器も季節感と面白さを併せ持って選んでいました。

会話も弾んでお酒も進み至福の時間、さて〆はもちろんそばです。
つゆは甘みを抑えすっきり、そばはもちろん師匠の高橋名人仕込みですので細くキリリとしています。もうお腹いっぱいでしたが最後に「最中」がでました。
パクッと一口かじって・・・・・・。えっこれは?ほのかな甘み感じた途端に最中の皮の香ばしさが口いっぱいに広がります。
最中の皮は和菓子屋さんから仕入れるが、餡は自分で作り、直前に皮に詰めるのだそうです。さり気なくしかも最後まで手を抜かない料理に長屋さんらしさを感じた一瞬でした。

平成27年7月10日
日本橋そばの会
会長 横田節子

そばの女神

週末、所用で茨城県土浦市に行きました。上野からJRの快速で1時間余りの土浦市は首都圏への通勤圏でしょうが、私は旅行気分で電車に乗り込み、少しずつ変わっていく車窓からの風景を楽しみました。生憎の梅雨空でしたが、水田の緑が美しく、飽きることはありません。

土浦駅で知人の出迎えを受け、向かった先は「小町の館」という市の施設で、地元の特産物の販売やイベントを行い、また広く「そば」のPRもしています。到着したのは10時過ぎでしたが、もう大勢の方たちで賑わっていました。丁度そば打ち体験教室が始まったばかりで、早速、見学をさせていただきました。
2年前にできた体験館は広く清潔で、人気の施設ということです。

 

さて、ここがなぜ「小町の館」なのか気になりましたので案内所にたずねると、ここは小野小町と関係が深く、小町が旅の途中で立ち寄った所とのこと、案内書を見ると「小町の腰掛石」、「小町の墓」が載っているので行ってみました。水田の脇道を通り、木立が茂る道を歩いていくとやがて腰掛石がありました。「小町さんがここで一休みした」と想像を膨らまし、満足して体験館に戻りました。

美女といえば全麺協の海外レポートロシア編で「そばの女神『アクリーナ』の日」があるということを知りました。そのアクリーナの日は旧暦6月13日で、今の歴に直すと6月26日、この日はそばの種蒔きの最適な日であることから昔からこのような風習が残っていたものと考えられるとのこと。そばの雑炊を作り、貧しい人々に与え、一緒に豊作を祈った日とされているそうです。

小野小町と女神アクリーナ、二人の美しい女性にそばを通じて巡り合い、すっかり気分が良くなりました。

平成27年6月30日
日本橋そばの会
会長 横田節子

  八溝そば街道そばまつり

爽やかな 5 月の風の中、「第五回八溝そば街道そばまつり」が 16 , 17 日に栃木県那須烏山市で催されました。前回より場所を変え、広いスペースでのそば祭り、近隣のそば屋さんや地域の特産物が並び、大勢の人で賑わいます。
私たちは、今回でイベント出店は最後という、高橋邦弘先生のお店「達磨」(広島)のお手伝いに行ってきました。
ブースに到着したのは 9 時過ぎ、もうお客さんは長蛇の列になっており、大急ぎで決められた場所につき仕事を始めました。今回私は薬味盛り担当、ひたすら葱、辛味大根、山葵を決められた通り薬味皿に盛る係です。葱は箸で整えてこんもりと、辛味大根は小さなぼたん雪のように、そしてワサビはポトンと落とすように盛り付けます。もう最後かと思うとジーンとしたり、山葵でツーンときたり勝手に楽しんでいました。
思い起こすと平成 16 年の「今市そば祭り」からのお手伝い、今年で 11 年目になります。その間にも大勢のお弟子さんともお近づきになりました。皆さんは礼儀正しく親切で、たくさんのことを学ばせて頂きました。配膳の仕方、つゆ盛り、薬味の盛り方など、忙しくても 一つひとつ 手を抜かず丁寧に作業をすることは素人の私にとっては良い経験になっています。丁度パリでお世話になったお弟子さんたちも来ており嬉しい再会もありました。二日間とも大盛況であっという間に完売です。
場所を変えての最後の打ち上げは、達磨さん一行と地元の皆さまとの交流もありいつまでも盛り上がっていました。私も 高橋先生と 写真を撮ったりお話を伺ったり楽しいひと時を過ごしました。
もうすぐ、 「達磨」さんは広島から九州の大分に移り、今までとは少し違う形態のお店を開きます。きっとまた人気の店になることでしょう。開店を聞いたら私もぜひ行ってみたいと思いました。

八溝そば祭り

八溝そば街道そばまつり

平成 27 年 5 月 27 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

  広島へ

広島市内から車で走る事 1 時間余り、キラキラ光る美しい石州瓦の家々が続くのどかな 山里の景色を眺めていると、やがて小道の角に小さな看板がぽつん、周りの雑草に負けじ と立っていました。そのころになると道に迷ったような車や一目散の車が現れ始め、皆同 じ方向に走り進みます。「広島達磨」に行くのです。

一度行きたいと思っていました。いつかと思っていてもなかなか機会がないままでした が、今回念願が叶いました。「広島達磨」はこの 5 月で閉店し、九州に移るとの事。
皆思いは同じなのでしょうか、店に到着した時には大勢のお客さんが順番を待っていまし た。
混んでいるだろうと覚悟はしていましたが驚きました。車のナンバーも様々、きっと 私と同じで究極のそばを食べたいから来たのでしょう。
そして待つこと 1 時間、案内された店の中は贅沢な木造づくりの空間で、天井が高く開 放感がありました。席もゆったりとしています。きびきびとしたお弟子さんが運んできた のはもちろん「もりそば」。ツンとしたたたずまいのそばはもちろんきりっと絞まり、上品 な色合い、艶としていてしばし眺めてしまいました。のど越しが何とも爽やかで噛むとモ チっと甘く、スッと入ってしまいます。つゆは凛として決して甘くなく、辛くなく、澄ん でいて、つゆの材料が何も主張していません。どうしたらこのようなつゆができるのか素 人には分かりません。
「美味しかった。」この一言に尽きるそばでした。

さて、広島は初めてでしたので、やはり宮島に行きました。朱塗りの厳島神社はさすが 世界遺産、圧倒的な荘厳さを放ち、大鳥居は思っていたより大きく逞しく建っていました。
散策を楽しみ、昼食に「穴子飯」、おやつに「もみじまんじゅう」、夕食は市内の店で 「お好み焼き」、「牡蠣焼」と名物は残さず頂きました。地元の方から「お好み焼き」は戦後子供に野菜をたくさん食べさせようと考え出した食べ物と説明を受け、歴史を感じま した。

ところで広島の路面電車は海沿いではかなりのスピードで走り、市内はゆっくり走る 便利な市民の足、私も何度も利用しファンになりました。そういえば香港、サンフランシ スコ、富山でも乗ったことがありますが、どこも何となくレトロで映画に出てきそうな乗 り物です。

そしてやはり原爆ドームに行きました。おりしも好天の祭日、平和公園は若いカップル や家族連れが楽しそうに遊んでいました。このおだやかで平和な昼下がりが何とも有難く 感じられた今回の広島旅行でした。

平成 27 年 4 月 29 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

  合宿

各地のそば打ち仲間が集まる山中湖合宿に飛び入り参加をさせてもらいました。
日頃は学生が使っている研修所で二泊三日の合宿、厳しいと聞いていたので緊張です。
一日目、早朝打ち場に行くともう皆さんは真剣にそば打ち、パワーがみなぎっています。
私は最初 から遅れをとってしまい焦りましたが 、 何とか仲間に入れてもらいそば打ちをしました。
さて、今回のテーマは「のし」です。まずは正確な「四つ出し」と「にく分け」が
できるようにする。そうすれば「のし」はスムーズになるはずというわけです。
講師の理論は分かってもなかなか思うようにはならず 、 何回もやり直して練習しました。
お互いにアドバイスをしあい、交流をしながら研鑽をするといういい雰囲気も次第に
感じられるようになっていきました。

早朝からの練習でへとへとになって食べる昼食の賄そばは毎回工夫をこらして当番が作ります。
温かい花巻蕎麦、カレー蕎麦、卵とじ蕎麦、冷たい菜の花蕎麦、おろし蕎麦と厳しい中での
楽しみの ひとつでした。
楽しみといえば毎朝湖畔に行き富士山を眺め、いい空気を吸ってリフレッシュをしました。
すると 二日目の朝、富士山の山頂は雲一つなくスッキリ、湖面にはくっきり、
逆さ富士が映っていました 。実物を見たのは初めてで感激しました。

何十年ぶりでしょうか学生気分に戻り二泊三日の合宿も毎日違うカリキュラム編成であっという間でした。
そば打ちでは学ぶことが多く、新たな交流も生まれ、贅沢にも毎日富士山をながめ、
なんとも充実した合宿に行ってきました。

平成 27 年 4 月 20 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

  天麩羅

今日は蕎麦前の一番手「天麩羅」を習いました。
私は天麩羅を揚げるのは苦手ですが今まで何度も作ったことはあります。レシピもテレビ
で見たり聞いたり「天麩羅を上手く揚げるコツ」「失敗しない天麩羅」など知っているつも
りでした。ところが今までの知識とは少し違うことが分かりました。

まず、「天麩羅屋さんの天麩羅」と「蕎麦屋さんの天麩羅」の違いを勉強。
天麩羅屋さんの天麩羅・・・・・・衣が薄いのが身上、衣を薄くし、カリッと仕上げ、天種の
素材を十分に引き出す。

蕎麦屋さんの天麩羅・・・・・・衣をわざと厚くし、蕎麦つゆが浸み込み易く仕上げるのが特徴。
いわれてみればなるほどと思いますが知りませんでした。

次に天種の下ごしらえを勉強。
本日の材料は穴子、海老、季節の野菜。
穴子は開き方から教わりましたが難しすぎて講習生は尻込み、先生の見事な包丁さばきを
見学しました。でも骨の付き方が鰻と違うことや、小さな背びれ、尾びれも取ることなど
耳学問になりました。海老は背ワタの取り方、尾の整い方、真っ直ぐに揚げるための技を
実習しました。

野菜は主に隠し包丁の入れ方を習い、これで下準備は終了。
私は江戸前鮨に似ていると思いました。どちらも周到な下準備を整え、客の前ではさっと
作り上げ出す、スピード感が一緒で、気の短い江戸っ子の食べ物の筆頭です。

さて、いよいよ揚げの勉強。
今回は胡麻油と綿実油を使います。今まで胡麻油に種類があることには関心がありません
でしたが天麩羅に使う油は香ばしい香りのする胡麻油ではなく、白い生の胡麻を絞った
白い透明な胡麻油を使うとのこと、旨みがあるからです。これも知りませんでした。

油の温度の測り方、素材によって違う油の適温、衣の付け方のちょっとした技、幾つもの
技術があるからこそプロの天麩羅は美味しいのか、改めて学び直した天麩羅講習でした。

平成 27 年 4 月 12 日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日本橋蕎麦屋めぐり

ひょんなことから日本橋界隈の老舗を巡るツアーを主催している「日本橋めぐりの会」様とご縁ができ、
今日は「越前VS江戸2店」ツアーにお招きを受けました。

何しろ蕎麦屋さん3軒に行くというので朝食を抜き、ベストコンディションで挑みました。

待ち合わせは日本橋三越本店前、おりしも桜の季節、三越ののれんは桜色に変身し、
たおやかに揺れていました。

三越

さて、まずは日本橋のたもと、「御清水庵清恵」。入口には大きく「越前おろしそば」と看板が出ています。
もちろんおろしそばを頼みました。
少し太めで、もちっととしたそばをぶっかけではなく大根のおろし汁の入った 汁に付けて頂きます。
汁がやさしく胃が疲れている時は薬にもなりそうなそばでした。
ちょこんと付いてきた焼き鯖鮨2貫は押し鮨でほんのり甘く、さっぱりしたそばとの対比が絶妙でした。

店内には越前蟹やソースカツ丼の興味深いメニューが張られていましたが、ゆっくりもできず2軒目に向かいます。

昭和27年創業の「利久庵」。中に入ると2時過ぎだというのに賑わっていました。
ここでは「納豆そば」と「もりそば」です。
そばはいずれも御前蕎麦。白くて繊細なそばはサラサラッとした 喉越しでした。
ご丁寧にも若旦那さんが説明をしてくださったり、隣では団塊の世代らしき男性4人が「いたわさ」を
アテに冷酒で歓談、やがてもりそばを注文し美味しそうに手繰っておられました。
私はなんだかすっかり和んでしまいました。

2軒とも完食しているのでお腹は一杯、少し散策を楽しみながら3軒目に向かいます。

今、日本橋は再開発の真っ最中、次々と新しいビルが立ち並んでいきます。
日本橋の歴史を残しながら新しい街並みになっていくのでしょうが、是非とも大人が楽しめる街に
なってほしいと願っています。

暫く神田方面に歩いていくと3軒目に着きました「室町砂場」です。
130年余り続いている老舗の蕎麦屋さん。皆さんと一緒だから入れるけど一人で入るにはちょっと勇気が
いるかもしれません。
ここが最後なのでちょっとお酒も飲みました。
老舗の風格を感じながら、そば前「筍の姫皮とじゃこのさっと煮」「あさりの生姜煮」 「玉子焼き」を
楽しむ至福の時を過ごしました。
そばは元祖「天もり」。 冷たいそばを温かい汁で、その汁の中に海老のかき揚げが入っています。
そばは一番粉だそうで少し色がついていますが江戸前なのでキリリと細切り、
汁はかき揚げが入っているのでコクがあり、 そばと天麩羅を交互に美味しく頂きました。

江戸つ子の好きな食べ物はお蕎麦、鮨、天麩羅、鰻、おでんと教えて頂き、
私も江戸っ子の端くれになりたいと思いました。

平成27年3月25日
日本橋そばの会
会長 横田節子

  春うらら旅

 

春を満喫したくて千葉県南房総に仲良し6人組で行きました。
案内役は「日本橋そばの会」会員のスーさんです。
この何とも厚かましいお願いをスーさんは快く引き受けて下さいました。
大きいワゴン車の乗り心地は満点、まったく至れり尽くせりの旅です。

東京の世田谷を出発し川崎へ向かい、東京湾を横断し木更津へ到着。
そこからはゆっくりとドライブを楽しみながらまずは楽しみなお昼ご飯です。
スーさんは事前に地元のご友人にとびきりの店をリサーチしていました。
(海のすぐ傍にあるお店「相浜亭」)

メニューを見るとビックリ、どれも凄いボリュームでおいしそう!
伊勢海老のお味噌汁に魅せられたつね子さんは「これ!」ってすぐに決まりました。
私は大きいお刺身がドーンと盛られている海鮮丼を選びました。
心残りが無いように金目鯛の煮付けも注文し皆、満腹、満足。

さて、お腹もいっぱいになったので少し運動をと房総名物のお花摘みに行きました。
ストック、キンセンカ、ポピー、金魚草と一面の花畑は春爛漫です。
ソラマメも愛らしい花を付けていました。 (ソラマメ)

近くの市場に寄り「新ワカメ」と「菜花」も買い込み、だんだんと私のバックは膨らんでいきます。
途中、花街道を走ったり、コーヒータイムで和んだり、いつもよりゆったり時間が流れていきました。
ドライブ~花街道~車窓
そして最後に立ち寄った所はスーさんの元同僚が経営している「たんぼはうす」。
(「たんぼはうす」のホームページ:http://tanbohouse.com/

地産地消にこだわり、作り手の顔が見える農産物を販売しているお店です。
私たちはここでもお買い物。
生みたての卵、皮がピーンと張ったトマトは絶品で、
他にもあれやこれやみんな両手にいっぱいの買い物袋を提げています。
ようやく店を出ると少し空も暗くなりかけ、気が付くともう5時、残念ですが帰る事にしました。
私たちの賑やかなおしゃべりにも気にかけず、スーさんは終始安全運転で夕刻東京に到着。
盛りだくさんな楽しい一日でした。

スーさん、お疲れ様。そしてありがとうございました。

平成27年3月3日
日本橋そばの会
会長 横田節子

打ち粉

日本橋そばの会の研鑽会で打ち粉の使い方を勉強しました。
打ち手によって打ち粉の使 い方は多少違いますが、
「のし」の作業では最小限の量を使い、
「畳み」の作業では大目に 使っても良い、というのが基本と思います。
でもその按配が難しいのです。

達人のそば打ちを見ていると「のし」の作業では殆ど使った形跡が
見られないほど少量を さっとふり、麺体には白く残っていません。
経験の浅い人はどうしても多く使いがちで、 しかも固まってまるで
ぼたん雪のように麺体に落としてしまいます。
また、料理を学んだことのある人は指3本でふり塩をするように繊細に
撒きますがこれも 興味深い傾向です。

そして「畳み」の作業となると達人は神業のような使い方、
一度に大目に打ち粉を取り、 まるで投網のような投げ方で麺体全体に撒きます。
はみ出さず、全体に行き届かせるには 綿密な計算と経験を重ねないとできません。
以前、達人から「打ち粉の練習は、庭の真ん 中にある梅の木の根元に
向かって撒いていました。」とお聞きし、凄いなあと感心したこと があります。
少しずつ撒いても、万遍なく撒くことが出来ず、仕舞いには手で撫でて
均等にしてしまう。 これでは麺体に食い込んででは美味しいそばはできません。
本当に打ち粉の使い方は難しいと思っています。

平成27年3月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

 オヤマボクチそば

恥ずかしながら今まで「オヤマボクチそば」を打ったことがありませんでした。
長野に旅行した時、北信の飯山方面まで足を伸ばし、オヤマボクチそばを食べたり、打っているところを見学させていただいたことはありますがなかなか打つ機会がありませんでした。 ところが、今回念願叶って飯山に関係あるから方から、この地方に昔から伝わる打ち方を教えていただきました。どのようになるのか期待が膨らみます。

先ずは、地元のそば粉500g、オヤマボクチ2g、水300ccを用意、水多めです。 初めてオヤマボクチに触りました。今まで葉脈を使うものとばかり思い込んでいましたがそうではなく茸毛(葉の裏に生える繊維)を集め乾燥させたもの使うとのこと、勉強不足でした。

茶色に乾燥している茸毛を水にふやかし水と一緒にそば粉の中に。しっかり「水回し」をして、じっくり「練り」上げるこの作業が一番肝心とのこと。茸毛一本一本を全体に万遍なく散らしていきます。途中うまく散っているか少し不安になりました。 さて、次は「のし」の作業、太目一本棒の「丸のし」で大きくしていきます。この時茸毛が全体に散っていないと麺体にまるでメダカが泳いでいるように現れます。 「ああ、私の麺体には2匹泳いでる~。」「大丈夫、大丈夫」と先生に励まされ気を取り直して薄く0.5ミリまで伸ばしていきました。

そしてこの麺体をしばらく乾かすのです。「えっ!乾かすのですか?」新聞紙を広げその上にそっと休ませました。すぐに切ると繊維が邪魔をして切り辛いのだそうです。 やがて周りが少し白く乾いてきたので八つ畳み、10㎝×80㎝を2㎜幅での切り、サクサクサクと小気味よく切れていきます。何とも愛おしいしそばになっていました。練り込んだ茸毛がしっかり「つなぎ力」になっているからだとひとり感心してしまいました。和紙を織る作業と同じです。

さあ、お待ちかねの試食。香しい長いそばになっています。角もカチッと立っています。平麺のそばはつゆとからみ美味しいおそばでした。 戦国時代、火縄銃の火口に使ったオヤマボクチをつなぎに使って食用のそばにする。先人の知恵に感慨深いものがありました。

オヤマボクチ

オヤマボクチ

平成27年2月14日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日本橋人形町

日本橋人形町に住み始めて気が付いたことの中に豆腐屋さんが多いことと、
銭湯が何軒もあるということがあります。
昔から豆腐は手軽に栄養がとれる優秀な食品だから町民の食事には欠かせないものと
すぐに分かりましたが、今でも人形町、浜町、蛎殻町界隈この狭い限られた地域に
ざっと数えても5軒はあります。町内だったり、気に入った店だったりして贔屓の店は
決まっているのでしょう、私も買う店は決まっています。

また、住んでいる人たちは銭湯で一日の終わりの汗を流すと決まっていたものなのか、
賑わっていました。義母は「家風呂は温まらない」と好んで銭湯に通い、そこでよもやま話を
するのを楽しみの一つにしていました。
でも今はさすがに一軒、人形町の「世界湯」だけ、そういえば、以前職場の同僚(男性)が
銭湯をえらく気に入り3時の開場を待って入りに行きました。
同じく銭湯の前で開場を待っている町の長老に「ここはどうして世界湯っていうのですか?」と
尋ねたところ「てやんでぃ ここは昔から世界湯っていうんだ!」と返答されたとか。
ところで世界湯の湯船は二艘あって一艘はポコポコ泡が立っています。
そして、二艘とも「湯の温度は44度に設定をしています。」と札が掛けてあり、
初めはそおっと入らないと難しい熱さ、同僚は思わず湯船の蛇口に手を伸ばしたところ、
先に湯船に入っていた先ほどの長老が「兄さん、そこは触ってはいけねえ」と
言われてしまったと、嬉しそうに報告してくれました。

さて、蕎麦屋さんですが、少しずつですが増えています。
昔からある街の蕎麦屋さんは昼食に工夫を凝らし健闘しています。
また、最近手打ちで勝負する蕎麦屋さんがぽつんぽつんと出店しています。
店の設えを工夫したり、メニューに蕎麦の産地を明記したり、
日本酒の品ぞろえにこだわったりしています。
そして、駅前の立ち食い蕎麦屋さんもファーストフードのような品揃えのそばで頑張っています。

この三タイプの蕎麦は立ち位置が少し違いますが、共存をしてこの下町を
大いに盛り上げてほしいと願い、応援しています。

平成27年1月24日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日本橋七福神

 

日本橋には七福神がいらっしゃいます。

笠間稲荷神社(寿老神),末廣神社(毘沙門天)、小網神社(福禄寿)、椙森神社(恵比寿神)、室生弁財天・水天宮仮宮(弁財天)、松島神社(大国神)、茶ノ木神社(布袋尊)です。
「七福神への信仰は、室町時代より始まったと言われ五百年にわたって日本人に受け継がれて、年々盛んになっております。」と七福神めぐりのパンフレットに書かれていました。
確かに盛んになりました。元旦には近所の氏子さんとは少し違う感じの方々が参拝に来られ、一時期は日本橋のデパートが各所にのぼりを立てて参拝客を案内していました。
成人の日辺りまではどこの神社も行列で、地元の人間は割り込むすきもありません。
お正月、ご馳走を食べ過ぎた身体には七福神めぐりは程好い運動になりますし、下町を散策しながらお土産を買うのも楽しみの一つなのかもしれません。

しかし、氏子は少し違います。もちろん初詣の参拝は家族の健康や安全、商売繁盛を祈りますが、一年を通してかかわります。1月5日は初水天宮、2月の節分、初午、そして暮れのお酉さま迄、神社の行事を大切に守っています。だからこそ節目節目がきちっと決まり日々の生活が成り立っていくのだと思うのです。

そんなことを思いめぐらせていたら突然「そば会」がしたくなりました。
そば打ちを始め、打つのが楽しくてたまらない時期があり、毎年「年越しそば会」を開いていました。昼の時間帯に一年間お世話になった方々にそばを振る舞いました。そのうちにバージョンアップをして人数は少なくなりましたがそば前を出し、お酒も楽しむ「新春そば会」を開くようになりました。
ところが昨年、今年と何もしていない、年末から年始にかけて仕事が変わったり、少し体調を崩した時期があったりして計画が立てられませんでした。
最近、少し余裕が出てきたこともあり、たとえば「寒晒しそば会」、「晦日そば会」、「節分そば会」、何かしたいなあという思いが強くなってきました・・・・・・。

平成27年1月15日
日本橋そばの会
会長 横田節子

初 夢

そば打ちで四つ出しをしたら形が富士山になってしまった。
朝、散歩の途中、根津鷹匠でそばをたぐる
揚げ茄子と大根おろしたっぷりの冷たいぶっかけ蕎麦を食べた。
と、「一富士、二鷹、三茄子」が出てくる、こんな初夢を見ることができたら、
きっといい一年になるはずです。

さて、「日本橋そばの会」の今年の夢
1. 現在会員23名、全員参加の研鑽会
2. 中央区のイベントに出店、大成功
3. 中高生の講習会を催し、そば打ち甲子園を目指す
4.更科蕎麦講習会を催する
5.「日本橋そばの会HP見ているよ,イイね!」と言われる

言い出したらきりがありませんが、まずは会の目的は会員同士の交流です。
その日打ったそばを持ちながらの帰り道「今日の研鑽会は楽しかった」と
なんとなく思い出し笑いが出る。
これが私の一番の夢かもしれません。

平成27年1月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

そば打ちの心得

そば打ちを習い始め一年余りが経った時、恩師から「おいしいそばを作ろう、そば粉は大切に扱おうと思って打ちなさい」とアドバイスを受けました。この二つの思いはずっと私のバイブルとして持ち続けています。
さて、今年、大勢の方と交流し、新たに多くのことを学びました。
まず、埼玉小川道場の大塚康子さんの心得。
康子さんは清楚な中に丁寧さと隅々まで神経の行き届いたそば打ちをされる方、そのそば打ちの工程の中で、切ったそばを舟箱に入れるとき、「首のすわっていない赤ちゃんを扱うように」と説明されました。なるほど・・・。だからあのように整然ときれいに並んでいるのか・・。生そばは本当にデリケート、まして生打ちや粗挽きのそばは切れないように・・、折れないように・・と扱うもの、納得しました。
そしてもう一人、北海道そば打ちの達人平松一馬さんの心得。
平松さんは毎朝、そば打ちをするそうです。そしてそのそばは待っている職場の会員さんやご友人に差し上げるのだそうです。でも最後の二束を上手に切り上げるのは大変難しいです。しかしその二束がお二人のその日の朝食になるそうです。そこで平松さんの奥様は言いました。「私たちが食べるのだから心を込めておいしくなるように切ってください」と。私はこの言葉に感銘を受けました。達人といえども切りは最後近くになると集中力が薄れるか、「いいや自家用だから」と思ってしまうかもしれません。自分たちが食べるのだからもう一頑張り。これも納得です。
よく、<そば打ちは奥が深い>と言われますが、技術の向上は質の高い練習と思います。
でもそれだけではなく気持ちも付いていかなければ<いいそば打ち>はできないと思い知った一年でした。

平成26年12月25日
日本橋そばの会
会長 横田節子

東京そばの会

蕎麦 」の四方洋編集長が私的に催している「東京そばの会」には時々参加させていただいていました。時節に合った講演と最後に振る舞われるそばはいつも楽しみでしたが、そのそば振る舞いを12月5日の会に担当させていただくことになりました。
間に立たれたほしひかる様((江戸ソバリエ協会  理事長)からこのお話を伺った時、嬉しさのほうが先行して責任の重大さは後になって気が付きました。
でも、何とかやり遂げたいと日本橋そばの会の江戸ソバリエの方を中心にお手伝いをお願いし、準備を進めていきました。そば粉は今年の夏に交流した北海道北檜山せたな町から頂いたちょっと野性味のあるそば、もう一種は繊細な風味の金砂郷「常陸秋そば」を茨城県のそば友にお願いして調達、この二種に決めました。
さて、当日自宅打ち場でそばを打ち、会場へ。
お客様は前日の打ち合わせで60名と聞き、70余名分を用意しました。
午後6時半からの始まりですが、早めにと3時に現地に行き厨房に入り準備、事前にも厨房を見せていただきましたので焦りはありませんでしたが、私はデモ打ちがあるので終始落ち着かずドキドキしていました。そのうち出席者がどんどん増えていき結局74名になりました。常連のお客様が予約なしでいらっしゃるのだそうです。
驚きましたが、やはり多めに用意しておいてよかったとホッとしました。
定刻通りそば会が始まり、厨房を仲間の皆さんに任せ、私はデモ打ち、久しぶりの人前でのそば打ちは緊張の連続です。さまざまな質問に答えながら、冷や汗をかき、何とかそばを切るまで進んだところで支配人さんが小声で「厨房でそばが足りないそうです。急いで下さい」と。えっ!急がなくては・・・・・・。途端に切り方が乱れました。まだまだ経験が足らないと反省です。
ようやく終わり、会場を見渡すと江戸ソバリエの幹部の方々、そして同期の笑顔がありました。応援に来て下さったのです。安堵と共に胸が熱くなりました。
そば会の最後に私を支えてくれた仲間と壇上に並びお客様に挨拶をし、大イベントは終わりました。
長い一日、緊張の連続、でも皆さんは疲れも顔に出さず晴れ晴れとしています。納得のそばが出せたようです。
さすが頼りになる最強のチームだと改めて思いました。

芝弥生東京蕎麦の会

※上記ホームページ①蕎麦春秋江戸ソバリエ

平成26年12月5日
日本橋そばの会
会長 横田節子

日光そば祭り

晩秋の木立の中、点々と並ぶ三角帽子のテント。中にいるのは森の小人でもなく妖精でもでない、少々ガテン系のそば打ち軍団。このアンバランスが何とも楽しい日光そば祭りが催されました。今年は天気にも恵まれ盛況なそば祭りです。
今回、私は各地から集まった混成チームのお手伝いをすることに。早朝家を出てひたすら会場へ向かいました。到着した8時過ぎにはすでにチームの皆さんは準備の真最中。急いで支度を整え、仲間に入れてもらいました。
それから午後4時過ぎまでお客様の列は絶えることなく忙しい一日でした。
改めて他のブースを眺めると全国のそば打ち仲間の方たちで、久しぶりの方、初めての方、ここでまた楽しい交流ができます。
二日目、粉の具合はどうなのか,どの様なそばが打ち上がるのか、気になるそば打ちブースに入れてもらい、そばを打ちました。皆さん難なく打っている2㎏の玉は大きく、早朝なので冷えていて昨日と同じ加水量ではずいぶんと硬い。いやはや悪戦苦闘してようやくそばになる始末、3回打たせてもらいましたがこのままでは迷惑になるので退散、実力の無さを実感しました。
さて、何とも楽しいそば祭り、毎年行きたくなるのはどうしてか改めて考えてみますと、やはり全国のそば打ち仲間に会いたいから、「こんにちは!」「やあ、元気ですか~」、「久しぶり~」こんな会話を交わしながら各ブースを訪ね、再会を喜び、しばしのそば談義、これがしたくて毎年そば祭りに通うのだと思いました。

日光そば祭り1

日光そば祭り1

日光そば祭り2

日光そば祭り2

平成26年11月30日
日本橋そばの会
会長 横田節子

宿根そば

今年も宿根そばが咲きました。
タデ科タデ属、多年草、別名「シャクチリソバ」と辞典にはあります。
数年前、千葉の知人から頂いて植えました。地植えにすれば大きく育つのでしょうが、庭のない我が家、灼熱の太陽が降り注ぐ夏、吹きさらしの風が舞う冬と最悪の条件がそろった屋上にもかかわらず、ずっと枯れずに頑張っています。
花は普通そばより小さく、数輪が顔を寄せ合うように集まって清楚に咲いています。葉はきれいな緑色で、なんとハートの形をしていて可愛くオシャレです。
しかも若葉は食用になります。以前福島にそば旅行をしたとき、お店で葉の天麩羅をいただき、とてもおいしかったのを覚えています。
宿根そばは花も葉もしなやかで少しの風でも揺れています。
10月、11月と幾つかの行事がありました。各地のそば祭りも気になります。
年末まで続くイベントを考えると頭がいっぱいになりますが、ゆらゆら揺れるそばの花を眺めているとストンと気持ちが楽になりました。

2014年11月11日
日本橋そばの会
会長 横田節子

ミレーの「種をまく人」

今、東京丸の内「三菱一号館美術館」でボストン美術館ミレー展(2014.10.17~2015.1.12)が催されています。

あまりにも有名なミレーの代表作「種をまく人」が展示されており、そばの種をまいていると聞いているので興味があり、行ってみました。

土曜の朝、閑静なオフィス街にある美術館はもう行列、「さすがは芸術の秋」と納得しました。

その美術館はそう広くない幾つもの部屋に数点ずつ展示され、ゆっくり見ることができました。順路通り進んでいくと、やがて今回の主役「種をまく人」が登場、オーラがかかったように展示されていました。わっと目に入ったのは農夫の力強い太もも、そしてその足は凄いスピードで大地を踏みしめ、種をまいています。顔の表情は帽子をかぶっているので定かではないのですが厳しい感じです。描かれたのは1850年、当時の一帯は小麦も育たない寒冷な農地だったのでしょうか、そばをまき、育て、生活の糧にしていたのかと思いました。

私は農夫の右手からこぼれ落ちる種を凝視しました。すると、それがだんだん三角形をしたそばの種のように見えてくるから不思議です。

しばらく進んでいくと「蕎麦の収穫」という絵が展示されていました。女性が収穫したそばを束ねる作業をし、遠くでは男たちが苗を叩き、実を落とす作業をしています。

有名な絵ではないのかもしれませんが、私はこの絵に出会ったことで「種をまく人」はそばをまいているのだろうと思い、なぜかとても嬉しくなりました。

【ミレー「種をまく人」PostCard】

【ミレー「種をまく人」PostCard】

【ミレー「蕎麦の収穫」PostCard】

【ミレー「蕎麦の収穫」PostCard】

平成26年年11月1日
日本橋そばの会
会長 横田節子

かんだやぶそば

東京のそばの名店「かんだやぶそば」が今月20日営業を再開します。昨年2月に半焼、多くのファンが心配し、そして心待ちにしていた店の再開。
私は運よく開店準備ゲストトレーニングという催しに行く機会を得ました。

新しい店は東京の一等地だというのに2階建で、しかも外からは平屋に見える贅沢さ、
庭も残し新しさと伝統をマッチさせた店構えでした。
店にはいるとおなじみの掛け声も耳に程よく響き、「ああ、やぶそばだわ~」と感激しました。

テーブルに座るとお品書きが置いてあり、お飲み物、一品料理、数種のおそばが
以前どおりかいてありました。皆で「いろいろ頼もうよ」と、本当にいろいろ頼みました。
お酒も入りすっかりいい気持ちに、本来蕎麦屋に行ったら長く居てはいけないと
教わっているのについつい和んでしまう、ダサいね。
「さあおそばを頼もうっと」、私は牡蠣そばを注文、美味しくいただきました。

さて、店側はこれら全部を無料で振る舞いました。開店トレーニングなんだそうです。
「えっ!」しかも10月4日から19日まで13日間ずっと振る舞うのだそうです。
江戸っ子ってこんな椀飯振舞をするものなんだと改めて驚きました。
「凄いなあ、江戸の粋ってこういう事か」。
ここに本物の江戸が残っていることを確認し、この場に居合わせたことに感謝しました。

湯葉 湯葉 のり焼き のり 鴨おかめ おかめ そば蠣 蠣そば

平成26年10月6日
日本橋そばの会
会長    横田節子

そば饅頭

穴子がようやく解決したと思ったらまた問題が発覚しました。
秋のイベントに先日講習会で好評だったそば饅頭も出そうと決め、
頭の中で準備から現地での販売までをシュミレーションしてみますと、
料理室でそば饅頭作り⇒蒸して冷凍⇒運搬⇒店頭で再度蒸す⇒販売となります。
あっ!蒸し器がない。もちろん蒸籠もない。
そういえば、電子レンジが登場してから家にあった蒸し器は姿を消してしまいました。
昔は茶碗蒸しを作ったり、サツマイモを蒸したり結構重宝に使っていたのに、
いつだったか処分してしまっていました。
大きいので収納するのに邪魔になったからだと思います。あぁ捨てなければよかった。
最近、蒸し料理が流行っているけど、蒸し器は小型でオシャレになり、饅頭を蒸す道具ではなくなっています。
困ったな。でも、どこかにあるはず。と、まずは会員の皆さんに一斉メールをしてみました。
「蒸し器を貸して下さ~い」。見つからなかったら買おう、少し覚悟もしていました。
結果は・・・・・・。ありました。あるところにはあるのですね。
蒸し器2台、蒸籠1台が見つかりました。

Hikariちゃんのキッチンの片隅に忘れられていた蒸し器

Hikariちゃんのキッチンの片隅に忘れられていた蒸し器

やれやれこれでまた難問一つが解決しました。あとは上手に作るだけ。
こちらは自信があります。
秋のイベント、実は10月25日(土)に埼玉県の杉戸町で開かれる
「第二回 武蔵の国そば打ち名人戦」のことです。
皆さま、ぜひお越しください。
美味しいそば饅頭を作ってお待ちしています。

こちらが案内書です。「第二回 武蔵の国そば打ち名人戦」

そばセット 見本 これは、うまい。 なんとこれが、500円とは驚きです。

そばセット(卵焼き、鶏だんご)
これは、美味しい。
なんとこれが、500円とは驚きです。

そば饅頭 1個 100円 これもまたうまい。

そば饅頭 1個 100円
これもまた好いよね。

平成26年9月30日
日本橋そばの会
会長    横田節子

穴子

9月に入り、新そばの便りもちらほら聞かれる頃になりました。
夏の間グダグダと過ごしていた私も「そばスイッチ」をONにカチッ!
でもまだ「そば」は「弱」、「強」のスイッチが入ったのは「穴子」です。
それというのも、秋に開催予定のイベントのメニューが天麩羅そばに決まったところで、
仲間の誰かが「江戸前天麩羅は穴子」と一言、それからはもうすっかり穴子です。
海老でなくメゴチでもなく、鱚も美味しいというのに穴子に決まりました。

それからはもうすっかり穴子一途ですけど、アラララ・・・・・・!私は生の穴子を扱ったことが
ありません。というか主婦って普通に穴子を料理するのかな?私はダメ主婦なので生の穴子を
買おうなんていう選択肢はなし、蒸した穴子を買い甘辛く煮たことはありますけどね、
その時はちらし寿司に入れました。

でも穴子の天麩羅は大大好き!両国「ほそ川」さんの穴子の天麩羅は絶品でした。
外側はさっくり、中はふっくら、ちょっと塩を振って口に頬張ると至福が広がります。
そういえば、「季節によって好い穴子が獲れる場所は違うよ」と細川さんは教えて下さいました。

ということで先日は築地市場の場内に行き、プロが買い付けするなかで、少し緊張しながら
見学、勉強もしました。恥ずかしながら穴子の相場も知らずキロ当たり○▽□円と聞いても
はたして高いのか安いのかも検討がつきませんでした。

そして今日は上野の大きい魚屋さんでじっくり観察してきました。穴子は対馬産で大きいもの
から小ぶりなものまで3種類、相場は築地より少々高めでした。

塩でもんでぬめりを取るらしい。熱湯をかけてぬめりを取る方法をYou Tubeで見つけた。
出来るかな?これは思いのほか大変な作業になるような気がしてきました。
そんなこんなで今、私の頭の中は穴子のことでいっぱいです。

平成26年9月11日
日本橋そばの会
会長 横田節子

夏の北海道、極上の旅 2

今回お誘いいただいた「北檜山手打ちそば愛好会」の皆さまは、明るくて情の深い北海道の
そば打ち仲間です。

花火大会が終わってから、場所を移しての交流会では笑いとそば談義が深夜まで続き、
今日初めて会った方も 昔からの知り合いのように仲良しになりました。

でも翌日は幸せ気分の中でもう帰り支度、「愛好会」の方に長万部まで送っていただき、
別れを惜しみました。

長万部の駅に着くと生憎特急が行ったばかりでしたので町を散策することにしました。

微かな風の音を聞きながら歩いていくと林の中に幾つかの建物が静かに建っています。

その一つが郷土資料室。重いドアを開けるとそこは空気がシンとして時間が止まっていました。
出土された縄文式土器の数々から鉄道マニアが喜ぶD51の機関車まで整然と展示されて います。

その中の生活道具のコーナーを見ますと石臼が展示してあります。 それに木をくりぬいた
おおきなこね鉢、包丁,のし板もありました。
解説には「蕎麦や麦を挽いた道具」とあります。係の方に「年代は?」と尋ねてみますと
「はっきりしないが明治・大正期のものと思われるから、他もそうだろう」とおっしゃる。

いずれも使いきった姿をしており、先人たちの生きる力を垣間見ました。

それから、せっかくなので平和祈念館やと植木蒼悦祈念館へ足を伸ばし、長万部出身の方々
の作品を鑑賞し、少し勉強しました。

 

今回は夏の北海道を満喫しました。しかし厳しい冬、どのような町に変身するのかを想像
しても皆目分かりません。でも機会があればまた訪れてみたいと思った旅でした。

 

平成26年8月15日
日本橋そばの会
会長 横田節子


 夏の北海道、極上の旅 1

東京のムシムシする暑さを逃れ北海道へ・・・・・・。ふりそそぐ太陽の光と心地よい風、
そして サラッサラの空気を満喫してきました。

8月2日(土)、3日(日)「せたな町漁火祭り」にそば打ち仲間から誘われたのは5月、
早速飛行機のチケットの予約を済ませ、町のHPを検索し、北海道の旅を楽しみに
していました。そば打ちをしていてこのような機会に恵まれることが一番の喜びです。

改めて地図を眺めてみると「せたな町」は道南の日本海側。新千歳空港から特急列車に
乗り2時間で長万部へ。そして長万部からは車です。土地勘もなく北海道の広さも実感
していない私は大変な旅になるのではとの予感がしました。

ところで今時の北海道旅行は車が多いと思っていましたが、予想に反し特急北斗8号は
混んでおり、若い外国人旅行者、特にアジアの学生が旅行をしています。

ようやく長万部に着いて、びっくり。駅がとても広くて遠くまで見通せるのです。

これだけでも「北海道にやって来たー!」と実感できます。

 

改札を出るとせたな町でそば打ちサークルをされている方が1時間をかけて迎えに来て
くださいました。

途中の景色のガイド、せたな町の紹介を伺いながら快適ドライブ。気が付くと日差しは
きついのに全然汗が出ません。肌もサラサラ。極上の夏です。

 

また、今回の旅行の楽しみの一つに漁火祭りでとびっきり新鮮な魚介類をお腹いっぱい
食べるというのがありました。

早速いただきました。えっ!透き通ったイカ刺しはこりんこりんの絶品(こんなの食べた
ことない)。ぷりぷりホタテは頬張るとじわーと貝の旨みが口の中いっぱいに広がりました。
幸せ~♡。

 

やがて日も沈み夜になるといよいよ花火大会。何も邪魔しない広い空に雄大な花火が
次々と打ち上がります。少し肌寒いくらいの空気の中、東京の慌ただしさ、
ムシムシイライラが遠くに感じられ、ゆったりと時は流れていきました。

平成26年8月9日
日本橋そばの会
会長 横田節子

嬉しいメールが届きました。

「会長日記」を読んだ会員の忠さんはこの詩を思い出したとのこと・・・・・・。

 

おうい雲よ

ゆうゆうと

馬鹿にのんきそうじゃないか

どこまでゆくんだ

ずっと磐城平の方までゆくんか

 

山村暮鳥『雲』より

 

お~ 「会長日記」が格調高くなりました。

こうして私はいつも誰かに助けられています。感謝。

 

ところで空を見るとどんより・・・・・・、梅雨真っ只中。

台風8号も猛威を振るっています。

でもよ~く観察すると雨に濡れながらしっとりと咲いていた紫陽花がそろそろ終わり、

朝顔が咲き始めました。夏近し。このジメジメももう少しの辛抱です。

 

日本橋そばの会
会長 横田節子
2014年7月12日

 

 


 

日記

小学生の頃、夏休みの宿題には必ず日記がありました。
私は日記(作文)が大の苦手だったことを覚えています。

慎ましく暮らしているサラリーマンの家では長い夏休みのイベントなんてそう多くは
ありません。家族で行く海水浴か、お寺の境内で催される盆踊りくらいでした。

毎日何を書いたらいいのかずいぶん悩んだものです。

3年生の時でしょうか、あまりにも書くことがないので毎日空を見て、
雲を絵日記にしてエイッと提出しました。
そうしたらなんと、「毎日よく観察したね」と先生は褒めて下さいました。
子供心にも何か納得がいきませんでした。

さて、今回「日本橋そばの會」はHPを立ち上げる事になり、
なんと会長日記のコーナーがあるのです。書けそうにない・・・。
と悩みましたが、毎日ではないからと言われて少し気が楽になりました。

そばにまつわる事、日本橋界隈、人形町の紹介など少しずつ書いていけたらと
思っていますのでどうぞお付き合い下さい。
よろしくお願いいたします。

平成26年6月30日
日本橋そばの会
会長 横田節子

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日本橋そばの會