亡き友の「つゆレシピ」

今年も「蕎麦春秋」編集長四方洋さんが催されている「東京蕎麦の会」のそば振る舞いを担当させていただきました。
二回目なので前回ほどの不安はありませんでしたが、素人の私がお客様にそばを出すことには勇気が要ります。
今回のそばは「北海道美幌産キタノマシュウ」。これは10月に行われた「第3回武蔵の国名人戦」で2名の方が使っておられ、食味審査の折、香りと甘さが上品でいっぺんに気に入ってしまったそばです。そしてもう一種はやはり大好きな「福井県大野産早刈り」と、すぐに決まりました。
さて、次は汁づくり。そんな時、私はいつも亡き友人のレシピを取り出します。何年も前の黄ばんだ封筒に入ったレシピです。分量はしっかり覚えているのですが、私は彼女の大きくしっかりした字を見つめながら確認し、今はもういない友人を偲びます。
彼女の家で開かれる「そば打ち研鑽会」に誘われて行き始めたのはもう何年前でしょうか。毎回和やかに練習を重ね、やがて私たち数人は準備のため少し早めに行くようになり、準備が終わると早めの昼食を取って歓談をしていました。そのおしゃべりの中で「つゆが美味しいのでレシピがほしい」とお願いしたところ、直ぐに郵便で送ってくださいました。それからはずっとそのレシピでつゆを作っています。
ある時、彼女はお昼ごはんに冷やし中華を作ってくださいました。でも心配顔で「私、最近味覚がおかしいので美味しいかどうか心配なの」と言われるのです。私たちは皆で「美味しい、美味しい」と言って食べました。でも彼女は食べません。「どうしたの」と聞くと、「ううん、私はいいの。でも皆さんから頂いたスイカを食べたわ、冷たくて美味しい」と笑顔でおっしゃっていました。そして、それから一週間ばかり過ぎた頃、彼女の訃報が突然届き、信じられずしばらく茫然としました。少し時間が経つと、以前に大病をされ、ずいぶん前から体調を崩されていたこと、味覚も病気のため感じられなくなっていたことが分かってきました。でも鈍感な私は彼女に甘え、自分のそば会までお手伝いをお願いしていました。体調が良くないなんて微塵も見せず、定例の研鑽会ではいつも笑顔で、背筋がピンとしていて、私たちが帰る時はいつまでも門の前で見送ってくださるステキな方でした。
その彼女の「つゆレシピ」は私のバイブルの一つです。
今回のそば振る舞い用のつゆを作り終え、準備も整ったのはそば会の前日でしたがもう安心でした。当日、そば振る舞いも順調に進み、お客様からは美味しいとのお言葉を頂き、心地よい疲れと共に皆で喜びました。亡き友も天国から見ていて、きっと喜んでくれたと思います。

平成27年12月3日
日本橋そばの会
会長 横田節子

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